2022年5月2日
作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。
【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#19 作詞家・西條八十の言葉
『ニッポン大音頭時代』(河出書房新社/著・大石始)より
※西條が、関東大震災(死者・行方不明者数は10万5000人以上)の夜、猛火に包まれた上野の山で考えたことであった。想像を絶するような状況下で西條が夢見た踊りは、「東京音頭」(作詞:西條八十、作曲:中山晋平)として昭和8年に発表。現在でも、東京のみならず多くの日本人の身体と魂を躍動させ続けている。
西條八十(さいじょうやそ)
明治25年生まれ、東京都新宿区出身。詩人、作詞家、仏文学者。早大英文科卒業後、堀口大学や日夏耿之介などとともに同人誌『詩人』を創刊。第一詩集『砂金』は、洗練された幻想的な作風で脚光を浴びる。また、芥川龍之介や北原白秋など、錚々たる文豪が寄稿した児童文芸雑誌『赤い鳥』に、日本初の童謡『かなりあ』を発表。森村誠一の小説で映画化もされた『人間の証明』では、西條の『ぼくの帽子』(『コドモノクニ』)の詩が引用された。「お母さん、僕のあの帽子、どうしたんでしょうね」というフレーズは『人間の証明』の中で特に重要なキーワードとして広く知られている。