【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#23 編曲家・音楽プロデューサー 松任谷正隆の言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

どんなにヒットした過去の曲よりも、今手掛けている作品が最高傑作ーー。この思いは音楽を生業にしてから一度も揺らいでいません。

※松任谷正隆が自身の音楽キャリアを振り返っての言葉。本書では、松任谷正隆が編曲を手掛けた「やさしさに包まれたなら」、「守ってあげたい」、「赤いスイートピー」、「なごり雪」などの秘話も語られている。音楽家たちの音楽への前向きな姿勢や熱い思いが、多くの名曲を誕生させたのだ。
『僕の音楽キャリア全部話します』(新潮社/著・松任谷正隆)より

松任谷正隆(まつとうやまさたか)
昭和26年生まれ。東京都杉並区出身。4歳からクラシックピアノを習い始め、14歳でバンド活動を開始。昭和46年加藤和彦の誘いで、ミュージシャンデビュー。同年リリースされた吉田拓郎のアルバム『人間なんて』収録の「結婚しようよ」ではハーモニウム(リードオルガン)を演奏している。以後、吉田拓郎のバンドのバンマスや、キャラメル・ママ、ティン・パン・アレーに参加し活躍。編曲家、プロデューサーとして、妻・松任谷由実をはじめ、風、松田聖子、イルカ、ゆずなど多くのアーティストの作品に携わる。モータージャーナリスト、俳優、マイカ・ミュージック・ラボラトリー校長など、様々な肩書を持つ。

仲村 瞳(なかむらひとみ)
仲村瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。