【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#26 歌手・ディック・ミネの言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

自分の財産みんな取られちゃっても、惜しいともなんとも思わないよ

『週刊文春』(昭和59年10年18月号 「野末陳平のおカネ対談」)より

※ディック・ミネは、芸能生活約50年で自身が稼いだお金を今の価値に換算すると、数百億円になると明言している。しかし、財産らしいものは何も残らなかった。天下のプレイボーイと呼ばれたミネは、5人の女性との間に10人の子供をもうけ、別れた女性たちに全財産を差し出してきたという。スタジオ付きの豪邸も慰謝料となり、晩年は自宅もなく、居候暮らしをしていた。この対談当時、ミネは75歳だが「まだまだ遊び足りねえ」とも語り、野末陳平に仰天されている。ミネの人生は、昭和の大スターらしい豪気なエピソードと男気に溢れている。

ディック・ミネ 
明治41年生まれ、徳島県徳島市出身。淡谷のり子にスカウトされ、昭和9年に、ディック・ミネ・エンド・ヒズ・セレナーダスの一員として「ロマンチック」(テイチクレコード)でデビュー。同年に、ディック・ミネとしてソロでレコーディングした「ダイナ」がテイチクレコード第一号の大ヒットとなった。訳詞と編曲は、三根耕一というペンネームで、ミネが担当している。ミネは、戦前から戦後を通して活躍した昭和を代表する大スターで、俳優としても人気を博した。平成3年、急性心不全により82歳で死去。