【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#28 作曲家・いずみたくの言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

レコード会社がなんだ。レコードなど出せなくても、いくらでも、皆が歌ってくれる歌がある

『見上げてごらん夜の星をーわが歌のアルバム』(新日本出版社/著・いずみたく)より

※いずみたくは、1950年代後半から1960年代初頭にかけて、作家の野坂昭如とのコンビでコマーシャルソングを量産していた。広い世代に馴染み深い「♪伊東に行くならハトヤ」も2人の共作である。この本によると、当時、「日本のレコード界では依然として古い演歌しかレコード化されず、ボクとか中村八大の作る曲は全然問題にもされず、いつも馬鹿にされていた」という。いずみは、そういったことへの反発心から、コマーシャル音楽を舞台にして、ポップ・ミュージックを世に送り出し、やがては歌謡界に浸透させていくのである。

いずみたく
1930年生まれ、東京都台東区出身。1950年代初頭、芥川也寸志に師事し作曲活動を始める。後に、三木鶏郎率いる『冗談工房』に参加し、トリローグループ(永六輔、野坂昭如、神津善行、ジョージ川口など)の一員となる。1962年に音楽制作会社・オールスタッフを設立。いずみたくが、生涯で作り上げた作品は、15,000曲以上にものぼる。歌謡曲はもとより、童謡(「手の平を太陽に」など)、交響曲、ミュージカル、アニメソング、校歌など、ジャンルも幅広い。ちなみに、佐良直美のデビュー曲「世界は二人のために」(1967年)は、いずみが手掛けたコマーシャルソングが元になっている。1992年、肝不全のため62歳で死去。