【生き字引に訊け!】第1回 砂田実さん「輝く! 日本レコード大賞」プロデューサー

【生き字引に訊け!】第1回 砂田実さん「輝く! 日本レコード大賞」プロデューサー

日本の歌謡界で偉大な功績を残されてきた人物に、あるテーマについて語っていただく企画です。第1回は、「輝く! 日本レコード大賞」の運営プロデュースを務められた砂田実さんに、レコード大賞草創期についてお話を伺いました。

プロフィール:砂田実(すなだみのる)
1931年、東京都生まれ。慶応大学仏文学部卒。1955年にTBSに入社。名ディレクターとして活躍し、1953年に放送が始まったばかりのテレビ草創期を支えた。TBS在籍時に、「日本レコード大賞」、「植木等ショー」、「日本有線大賞」、「東京音楽祭」など、数々の音楽番組や、人気番組のプロデュースを手掛ける。また、フジテレビの番組「おとなの漫画」(出演:ハナ肇とクレイジーキャッツ)の台本をはじめ、多くのショクナイ(内職)でも才能を発揮。CM制作、コンサートの演出(ザ・ピーナッツ、越路吹雪、五木ひろしなど)と幅広く活動し“ショクナイの帝王”と呼ばれる。1976年にTBSを退社。現在はフリーでテレビやイベントの企画・プロデュース、トークショーの出演などを行っている。

取材・文◎仲村 瞳


知名度の低かった「レコード大賞」をTBSの看板番組へ

ーーどのような経緯で、レコード大賞を担当されることになったのでしょうか?

僕は当時TBSの社員で、音楽番組を作っていました。1959年のある日、TBSの諏訪博社長に呼ばれて行ったら、「昨日、服部良一さんと古賀政男さんがみえた」と言うんです。日本作曲家協会が、アメリカのグラミー賞に倣って、日本レコード大賞を企画して、TBSに協力を求めてきた、ということでした。「お前、観てこい」と言われまして、それで行ったのが第一回(1959年12月27日)日本レコード大賞でした。会場はボロボロの文京公会堂でね、“日本作曲家協会”っていう腕章をつけた人が入口で呼び込みをやっていたんです。「これからレコード大賞っていうのをやりますから、お客さん入ってください」って。服部良一さんや作曲家の先生方もやられていました。空席も目立っていましたが、舞台にいるのは、有力歌手のキラ星たち。観ていて、「これはいい番組になるな」と思って会社に帰って「ぜひやりましょうよ」と諏訪社長に言いました。それで諏訪社長をグラミー賞へ連れて行ったり、色々と工作しましてですね、これは後の東京音楽祭にもつながるんですけども、それでTBSが運営を始めたんです。

【生き字引に訊け!】第1回 砂田実さん「輝く! 日本レコード大賞」プロデューサー

ーーちなみに、第一回の大賞受賞曲は、水原弘さんが歌った「黒い花びら」(作詞:永六輔 作曲:中村八大)です。水原弘さんは受賞の知らせを聞いたとき「レコード大賞って何?」と言った話も有名です。それほど当初は知名度が低かったのですね。草創期では、どんなことが特に印象深いでしょうか?

先輩の野中杉二さんが裏の事務方を、僕は表の現場をやりました。始めは野中さんと僕と2人で作ったようなものです。野中さんは非常に真面目な事務方の人でね、レコ大をTBSの看板番組に育て上げようと、随分話をしました。もう必死になって、とにかく大賞以外にも歌唱賞や企画賞だとか、賞もたくさん作ろうと考えて作りましたし、それまでの音楽業界の慣例を破らないといけなかったので、各レコード会社にも協力を取り付けるため説得に廻ったりもしました。そのころ、東京でトップイメージの劇場だった、帝国劇場での開催は僕が交渉にあたりました。

【生き字引に訊け!】第1回 砂田実さん「輝く! 日本レコード大賞」プロデューサー

1972年当時の「レコード大賞」台本コピー

ーー帝国劇場は、劇作家の菊田一夫さんが愛情をかけて作り上げた劇場で、“テレビの舞台で使うのは難しい”と言われていたそうですね。砂田さんの著書『気楽な稼業ときたもんだ』(エンパワメント研究所)にも書かれていますが、砂田さんの菊田さんへの度重なる交渉が実を結び、1969年より、レコード大賞が帝国劇場で開催されることになりました。

その年から、開催・放送を12月31日の「紅白歌合戦」の前の時間帯に持ってきたんです。これに関しての地道な根回し作業は野中さんが担当しました。はじめ、NHKの紅白担当者には良く思われていなくて、「なんで、その時間へ持って来られるんですか」と言われたんです。だって大変だもの、アーティストの輸送が。僕はそれも狙ってて、レコ大を獲った人が紅白に出て、「レコード大賞、獲りました」と報告して「おめでとう」って言ってもらいたいわけですよ。レコード大賞が終わって紅白がある、というトータルのエンターテイメントになれば素晴らしいなと思っていたんです。12月31日は音楽のお祭りにしましょうよ、ということで、強引に通してですね。大変ですよ。TBS持ちで、帝劇にハイヤーを20台位待機させておいて、レコ大が終わり次第、紅白の会場に運ぶんだから。僕もハイヤーの後を、自分の車で追っかけて行ったの。そしたら20キロ位オーバーしてて、パトカーにつかまっちゃってね。「大変なんですよ。今、TBSが終わってね、NHKに一刻も早く行って皆さんに挨拶しないと僕の人生に関わるから」って言ったら、お巡りさんが「ああ、そうですか。じゃあ行ってください。」と見逃してくれたこともありました(笑)。

ーーおおらかな良い時代だったのだと思いますし、レコード大賞も紅白歌合戦も、それほどまでの国民的番組だったということが感じられます。

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