【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#31 ギタリスト・寺内タケシの言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

自分ができないと思ったらどんな小さなこともできない

『公益社団法人 横浜中法人会ホームページ』2008年11月掲載(インタビューコーナー」より

※1965年頃から、地方自治体や学校などで、エレキギター禁止令が敷かれるようになり、全国的にエレキ追放運動が始まった。理由は「不良化と結びつくため」であった。そこで、寺内は「自分ができないと思ったらどんな小さなこともできない」という思いで立ち上がる。日本中の高校を尋ね歩き、“芸術鑑賞の時間にハイスクールコンサートを披露させて欲しい”と嘆願したのだ。以後、コンサートは1,400校を超え、その功績が認められて2005年に児童福祉文化財に指定される。2008年に秋の叙勲で長年のボランティア活動が緑綬褒章を受章。インタビューの中で寺内は「禁止をしたのが教育委員会で、文化財に指定したのが厚生労働省だよ。かたはら痛いよね」と楽しげに皮肉っている。

寺内タケシ(てらうちたけし) 
1939年、茨城県土浦市出身。5歳でギターを弾き始める。1962年に、日本初のエレキバンド、寺内タケシとブルージーンズを結成。ロシアをはじめ、アメリカ、ブラジルなど世界的に公演を続けている。4月21日、東京・有楽町のよみうりホールにて<エレキの神様、2018 東京公演! 寺内タケシ&ブルージーンズ Concert in TOKYO>が開催される。エレキの神様は、いまだバリバリの現役である。「日本のエレクトーンの開発者」、「5歳の時にエレキギターを自作した」、「安岡力也が追っかけ」、「ベンチャーズが白旗を上げた」など、寺内伝説には枚挙にいとまがない。座右の銘は「ギターは弾かなきゃ音が出ない」である。