<船村徹 一周忌法要>北島三郎、鳥羽一郎、大月みやこ、松原のぶえ、伍代夏子、島津亜矢、走裕介らが、偉大な作曲家を偲ぶ

<船村徹 一周忌法要>北島三郎、鳥羽一郎、大月みやこ、松原のぶえ、伍代夏子、島津亜矢、走裕介らが、偉大な作曲家を偲ぶ

2018年2月15日、東京都千代田区・帝国ホテル東京にて、<船村徹 一周忌法要>が営まれた。作曲家・船村徹は、「王将」(歌:村田英雄)、「別れの一本杉」(歌:春日八郎)、「矢切の渡し」(歌:ちあきなおみ、細川たかし)、「みだれ髪」(歌:美空ひばり)をはじめ、5,000曲以上を作曲。北島三郎の育ての親としても知られている。歌謡曲の作曲家としては初の文化勲章を受章。2017年2月16日に84歳で死去。

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作曲家・水森英夫

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大月みやこ

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作曲家・徳久広司

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作/編曲家・前田俊明

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こまどり姉妹

法要の施主は船村の長男で作曲家の蔦将包(つたまさかね)。柔らかな笑顔が印象的な遺影は、2006年に、船村の仕事場でもあった栃木県日光市の楽想館にて撮られたもの。祭壇には500本の菜の花や梅の生木、チューリップ、フリージアなど、計2,000本の春の花が飾られた。

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施主挨拶を務めた長男で作曲家・蔦将包

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<船村徹 一周忌法要>北島三郎、鳥羽一郎、大月みやこ、松原のぶえ、伍代夏子、島津亜矢、走裕介らが、偉大な作曲家を偲ぶ

株式会社ひばりプロダクション代表取締役社長・加藤和也

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徳光和夫

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(左から)作曲家・岡千秋、作詞家・喜多条忠

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伍代夏子

法要では、<第32回歌供養>も行われた。<歌供養>は、ヒットしなかった歌や世に出なかった歌を弔う催し。船村が「死ぬまで続ける」と言い、毎年船村の誕生日(6月12日)に合わせて行われていた。今回は、過去1年間に亡くなった、作詞家、作曲家、歌手の供養が行われ、かまやつひろし、ペギー葉山、平尾昌晃、山川啓介、三條正人らの代表曲が、仲間たちバンドの演奏で披露された。内弟子の、鳥羽一郎、鷲崎孝二(香田晋)、静太郎、天草二郎、走裕介は、「師匠(おやじ)」(作詞:星野哲郎 作曲:船村徹)を歌い上げた。同曲は、鳥羽一郎のデビュー10周年記念曲で、船村の葬儀の際は、棺を運ぶ内弟子たちが自然発生的に歌い始めたという。

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(左から)走裕介、天草二郎、鳥羽一郎、静太郎、鷲崎孝二(香田晋)

船村に縁の深い作詞家、作曲家、歌手らが、船村への想いを語った。

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作詩家・喜多条忠

日本作詩家協会会長・喜多条忠は「先生が亡くなられた朝、書斎を初めて見させていただきましたが、本棚を見て、目が覚めるほど驚きました。ありとあらゆる歌、歌人、詩人の本が並んでいたのです。作詩家でもこれほどの本を読んだ人がいたか。船村メロディはこれほど、言葉の意味、情感を汲み取るから、何とも哀愁に満ちた、心に突き刺さるメロディが生まれたのだと思いました」。

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作曲家・弦哲也

日本作曲家協会会長・弦哲也は「先生の歌は、人生の敗者の背中を頑張れよ、と押してくれた。決して時代に流されない頑固一徹な歌作りを貫いた先生でした。新しい時代になっても、船村メロディは永遠に不滅だと思います」。

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松原のぶえ

松原のぶえは、「師匠である北島三郎さんのお師匠なので、先生は私のことを『孫弟子だね』と仰ってくださいました。私がまだ十代で、東京に出てきたばかりの頃、先生のご自宅に一週間下宿したのが一番の想い出です。先生と奥様のことを、『両親だと思って思い切り甘えなさい、デビューしたら甘えるところが少なくなるから』と仰ってくださったんです」。

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島津亜矢

島津亜矢は、「船村徹先生と星野哲郎先生に歌を作っていただくのが小さい頃からの夢だったので、最初に船村先生のレッスンを受けた時は涙で歌えませんでした。ある時レッスンに伺ったらお弟子さんがご飯を作ってくださって、先生と一緒の食卓で、ちらし寿司をいただいたのが想い出に残っています」。

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伍代夏子

伍代夏子は「私は『肱川あらし』が船村先生に作っていただいた最初で最後の曲です。どうしても作ってほしくてお願いしました。レコーディングの時は言葉を大切にするように、とアドバイスをいただきました」。

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大月みやこ

大月みやこは「私は『女の港』が船村先生との初めての出会いでした。レコーディングの時は『うんうん、わかった。わかるだろ』とそれだけで、何にも仰らなかった。その後、先生からお手紙をいただいて、『最初、大月みやこがこの歌をどんな風に歌うだろうかと心配したが、でも君は見事に艶やかな声で頑張って歌ってくれた。あの時の、初めて会ったレコーディングスタジオのあの空気を、いつまでもずっと忘れないでいてほしい』というお言葉をいただいて。『女の港』、そして船村先生との出会いは、私の歌の人生を大きく変え、私の原点となりました」。

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北島三郎

北島三郎は「お師匠さんとの出会いがあったからこそ、今日の自分がある」と語り、数々のエピソードを聞かせた。「歌以外のこともたくさん学びました。ある時は、突然、池袋のスケート場へ誘われ、それから度々一緒にスケートをすることになったんです。怪我をするといけないし、やめましょうよ、と提案したら、お師匠さんは『俺がスケートが好きでわざわざスケートリンクに行くと思ったか。あそこにはな、俺たちが置いてきた若人の匂いがある。その大事な匂いを忘れないようにつけてこないと、置いてきたままではいかん。まして芸能界にはそういうのが必要なんだ』と教えてくれました。歌を作る先生が、人間を作ってくれたんです。お師匠さんからは『歌を歌う魂を消さないで、おまえ、しっかり守ってくれや』と言われました。生かされているうちに人の肥やしになれることを歌っていきたい」と決意を表した。北島は2017年に白内障の手術をし、その後、色付きの眼鏡をかけ始めたところ、船村に似てきた、と言われるようになったという。北島は「不思議だな。似てくるのかな?」とにこやかに語った。

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鳥羽一郎

「船村徹同門会」会長の鳥羽一郎は「自分としては、何をしても何も手につかない、そんな一年でした。寂しいけどしょうがない。でも、一周忌にこんなに大勢の皆さんに偲んでいただいて、嬉しゅうございます」と語り、最後に「本日は本当にありがとうございました」と挨拶をして締めくくった。約350名の参列者が、船村を偲び、改めてその偉大な功績に想いを馳せた。

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