【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#36 シンガーソングライター・美輪明宏の言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

人間は人種や性、年齢を越えて愛し合う権利がある

エンタメ特化型情報メディア『SPICE』(2017.7.11)インタビューより

※インタビュー中、美輪明宏は、毎年のように開催している音楽会のラインナップに絡め、シャンソンの魅力について語っている。この名言は、エディット・ピアフの歌「愛する権利」を三輪が独自に解釈したもの。オリジナルは、「どんなことがあってもとにかく、私たちは愛する権利を貫く」(ピアフは、20歳年下の男性テオ・サラポとの愛をこの歌で表現した)と、男女の恋人同士のことが描かれている。三輪はそれを「男と女が 女と女が 男と男が 年寄りと若者が 異国人同士が愛し合っても 人間同士が愛し合う事に変わりはない」と訳詞して歌う。美輪の精神性を象徴するような言葉である。

美輪明宏(みわあきひろ) 
1935年生まれ、長崎県長崎市出身。ジャズ歌手として進駐軍のキャンプ廻りを経て、1952年、銀座のシャンソン喫茶『銀巴里』の専属歌手となる。1957年、シャンソン「メケメケ」でシングルデビュー。三島由紀夫が「天上界の美」と評し絶賛し、遠藤周作や寺山修司など、当時『銀巴里』に集う文化人たちから高い評価を受ける。「シスターボーイ」という言葉とともにマスコミからも注目されるが、同性愛者であることをカミングアウトしたことで迫害を受けるとともに人気が凋落してしまう。1966年、一新したイメージで世間を驚かせた「ヨイトマケの唄」がヒット。現在もコンサートを中心に精力的に活動している。2018年3月31日から4月15日まで、新国立劇場にて開催される『2018年美輪明宏版 愛の讃歌~エディット・ピアフ物語~』の作・演出・美術・主演を務める。