【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#42 歌手・五木ひろしの言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

自分はただ夢中で努力していただけのこと

『涙と笑顔』(講談社/著・五木ひろし)より

※五木ひろしが、厳しい下積み時代を振り返っての言葉である。五木は多くのファンに苦労人として知られているが、「苦労した」とは決して言わない。「他人から見れば苦労であっても、自分からそれを言ってしまっては、せっかくの貴重な経験もうすっぺらなものになってしまいます」、「ぼくのためにしたおふくろの苦労から比べたら、苦労という言葉も恥ずかしい」と、この本で語っている。五木ひろしの人生哲学に、スターであることの由縁を感じる。

五木ひろし(いつきひろし)
1948年3月14日生まれ、福井県三方郡出身。1965年、松山まさるの芸名で、「新宿駅から/信濃路の果て」(コロムビア)でデビュー。1967年、一条英一に改名し、「俺を泣かせる夜の雨/流れ星(ポリドール・レーベル/B面は愛田健二)」で再デビュー。1969年、三谷謙に再び改名し、「雨のヨコハマ/東京 長崎 札幌」(ミノルフォン)で再々デビューするもヒットに至らず。1970年に「全日本歌謡選手権」に出場。10週勝てなければ福井に帰り農業を継ぐ決心をしていたが、見事、10週勝ち抜きを達成。翌1971年、4度目の改名で五木ひろしとなり、「よこはま・たそがれ」(ミノルフォン)で再々々デビューを果たす。この年から快進撃が続き、日本レコード大賞(金賞を10年連続10回受賞など)やNHK紅白歌合戦の出場は常連となる。2007年、紫綬褒章受章。