カルト歌謡カルタ【お】安藤昇「男が死んで行く時に」

カルト歌謡カルタ【お】安藤昇「男が死んで行く時に」

いつまでも人々の心の片隅に残り続ける珍曲や迷曲たち。売れることを考えて作られたとは思えない破天荒な作品に、その時代の心の豊かさと歌謡界の度量の大きさを感じる。いまこそ、その真髄を継承すべく、魔法のカルタで拡散!

「男が死んで行く時に」

1971年発表
歌:安藤昇
作詞:阿久悠
作曲・編曲:曽根幸明

「♪敷島の大和男子(おのこ)の逝く径は 赤き着物か 白き着物か」曲中、女性のコーラスが響く。平林たい子の任侠小説『地底の歌』(1949年/文芸春秋新社)から引用したフレーズである。やくざの死装束は赤き着物=牢獄か、白き着物=棺桶かを意味している。“語り”で「男が死んで行く時に」を歌うのは、映画俳優・映画プロデューサー・歌手・作家の安藤昇。海軍飛行予科練習生から不良青少年集団・愚連隊を経て、1952年に東興業、俗に言う『安藤組』を設立する。斬新な組織形態を作り、『インテリヤクザ』と称された。1964年に安藤昇自ら安藤組を解散。1965年、自らの自叙伝を映画化した『血と掟』(松竹)に主演して銀幕デビュー、任侠界のスターから銀幕スターへの見事な転身を遂げた。

安藤昇には「この顔傷では自分は生涯ヤクザ者としてしか生きられぬ」と言う若い頃に負った左頰の傷がある。評論家・大宅壮一がその顔傷と面構えを称した『男の顔は履歴書』は、1966年に映画化され、安藤昇の代表的な主演映画の一つとなっている。

作曲・編曲を担当した曽根幸明は、藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」(1970年 作詞:‪石坂まさを‬ 編曲:原田良一)や、勝新太郎の「座頭市子守唄」(1970年 作詞:いわせひろし 編曲:曽根幸明)などを手掛けた作曲・編曲家である。哀愁漂うメロディで、500曲以上の楽曲を発表している。

「俺の言葉が契約書」、「約束を守るか守らないかの前に、約束をする覚悟が必要」。安藤昇が、2015年12月に肺炎で89年の壮絶な生涯を終える前の同年8月にインタビューで語った言葉である。

解説・イラスト:はらめがね