【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#46 歌手・近藤房之助の言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

どう足掻いても超えられないものを持つことは、音楽をやる上で凄い大事なことだと思う

『Rooftop/近藤房之助インタビュー』(2010年6月22日)より

※このインタビューによると、近藤房之助にとって超えられないものとは「ブルース」である。日本を代表するブルース・シンガーの近藤でさえ、「ブルースは音楽である以前にアフロ・アメリカンの文化だし、最後はやっぱりそこに踏み込めないんだよね」と語っている。ミュージシャンとして、決して順風満帆だったとはいえない近藤が長く音楽活動を続けられるのは、「自分が常に”まだまだだ…”って思っているからこそ」なのだ。彼には、「ゴールのない道を死ぬまで突き進むのは音楽家の宿命」という熱い決意がある。

近藤房之助(こんどうふさのすけ)
1951年5月4日生まれ、愛知県刈谷市出身。1968年、ブルース・シンガーになることを決意。1973年、名古屋のライブハウス『おーぷんはうす』を拠点に音楽活動を開始する。1976年、BREAK DOWNに参加し、10年間、毎年100本以上のライブを行う。1987年、近藤房之助 & ONE ARMを結成。1990年、アルバム『HEART OF STONE』にてソロデビュー。同年、B.B.クィーンズに参加し、テレビアニメ『ちびまる子ちゃん』(フジテレビ系列)の初代エンディングテーマ曲(1990年1月 – 1991年3月)「おどるポンポコリン」が大ヒット。1990年の第32回日本レコード大賞を受賞する。B.B.クィーンズは1992年に活動を一旦休止するが、2011年に再始動。2013年、BLUESカバーアルバム『1968』三部作シリーズの最終章『~November~』をリリース。2016年、『Animelo Summer Live 2016刻-TOKI』に出演。現在も活動を続ける。