【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#58 歌手・三波春夫の言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

歌もあんまり技巧に走ったりしますと、暗くて切ないです。そういう歌を聞いてますと、陰々滅々としますわな

『森永博志のオフィシャルサイト/PROFILE42 花の御三家特集』より

森永博志といえば、知る人ぞ知る伝説的スーパーエディター。今回の名言は、1982年の『BRUTUS』(マガジンハウス)で森永が作成した元祖御三家(村田英雄、三波春夫、三橋美智也)のインタビュー記事からの抜粋である。まず、当時、当代一のオシャレでスノッブなイメージだった『BRUTUS』に元祖御三家が登場していたことに衝撃を受けつつ、三波春夫の言葉をチョイス。インタビュー中、「安心立命の境地に達したように自分でも思います」、「うたう楽しさ、踊る歓びに到達したんですな」とも語っている。歌手として悟りを開いた人間の歌唱哲学といえよう。『BRUTUS』のそのページには、三波直筆で「歌うとき そこに私は 神を観る」と書かれた色紙も掲載されている。

三波春夫(みなみはるお)
1923年7月19日生まれ、新潟県長岡市出身。「お客様は神様です」でお馴染みの日本を代表する歌謡界のスーパースター。1964年の東京オリンピックでは「東京五輪音頭」(1963年)を、1970年の日本万博博覧会では「世界の国からこんにちは」(1967年)が大ヒットする。その頃から、昭和における日本の一大行事には欠かせない歌手として、「国民歌手」と呼ばれるようになる。1939年、東京・六本木の寄席「新歌舞喜」で浪曲師として初舞台を踏む。その3ヶ月後に、浪曲師南篠文若の名で芸能活動をスタート。1944年、第二次世界大戦において徴兵され、帝国陸軍の軍人となる。ソ連軍の捕虜となり、約4年間、シベリア抑留生活を強いられる。1949年、浪曲師として復帰。1957年、芸名を三波春夫と改めて「チャンチキおけさ」で歌謡界デビュー。200万枚以上の売上げを記録し、今も歌い継がれる三波の代表曲となる。1975年には、自らが作詞作曲した「おまんた囃子」が大ヒット。晩年は、ラップやレゲエなど、ジャンルにとらわれず幅広い音楽活動を展開。電気グルーヴとの共演や、ディスコなどでもライブを開催している。2001年、前立腺癌のため死去。享年77。