【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#68 加納秀人の言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

他のミュージシャンはヒット曲を狙いたいとか有名になりたいとかで音楽をやっているけど、俺は全然違うところで日本のバランスをとるためにやっている

『Rooftop/INTERVIEW』(外道/interview:椎名宗之/2011.10.12.)より

和製ロックの先駆者にして、今もなお活動を続ける伝説のハードロックバンド・外道。2011年11月8日、新宿ロフトのステージで29年ぶりのライブを行った。今回の名言は、そのライブ目前の、外道のフロントマン加納秀人へのインタビューからの抜粋である。加納は、何が他のミュージシャンと違うのか? 本人曰く「何て言うのかな、超能力現象じゃないけど、俺はいろいろと不思議な経験をしてきて、”これをやらなくちゃいけない”って言われちゃったんですよ。それでしょうがなくやっている」。なんと神のような存在からの啓示があったのだ。さすがは、日本ロック界のカリスマ。音楽を続ける理由も超越している。民放がこぞって”外道は怖い”と避けていた中、NHKは放送禁止になった曲以外を盛んに取り上げていたという。加納は「そういう両極端な部分があって、日本は凄く面白い国だと思います。両極面あるからバランスがいいし、だから経済的にも世界のトップになれたんじゃないですかね?」、「バランスが悪くなってヤバくなった時に、バランスを保つために俺が出て行かなくちゃいけないわけですよ」と語る。彼は、まさにスーパーヒーローのような存在なのだ。

加納秀人(かのうひでと)
1952年6月22日生まれ、北海道美唄市出身。伝説のロックバンド・外道のボーカルとギターを担当。日本のロックの黎明期を牽引した人物の一人。 1968年、高校を中退し16歳でバンドマンとしてプロデビュー。1973年、外道として活動を始め、同年、「ニッポン賛歌」でシングルデビュー。1974年、ファーストアルバム『外道』をリリース。1976年、外道を解散。その後、再結成、自然消滅、再々結成、封印を経て、2010年に活動を再開し、現在に至る。1977年には、ジョニー吉長らとレコーディング・セッション・グループ、加納秀人Withイースト・ジャンキー・ファミリーを結成。1978年、ソロアルバム『地球の夜明け』リリース。フュージョンの先駆者としても足跡を残す。2008年、E-ZEE BANDのFUKUSHINとJUDY AND MARYの五十嵐公太による3ピースバンドATOMIC POODLEを結成。2018年は、加納秀人音楽生活50周年と外道結成45周年。加納秀人の50周年記念ソロ・アルバム『Thank You ~Hideto Kanoh 50th Anniversary~』が好評発売中。