【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#78 シンガーソングライター・中島みゆきの言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

先を急ぐ人たちは、たいてい何かを落としてしまうものだから

『ほぼ日刊イトイ新聞』(2007.9.17)より

今回の名言は、ダ・ヴィンチとほぼ日刊イトイ新聞の共同企画による『中島みゆきさん、おひさしぶり。』からの抜粋である。中島みゆきと糸井重里という、言葉の達人同士の対談とあって、中島の魅力を紐解くキーワードが、軽妙な会話の中にさりげなく散りばめられている。中島は、この言葉の後に、「笊(ざる)を持って、それを拾って行こうと」と続けている。糸井は、「それは素敵です。ダイヤモンドの鉱脈を探す競争に参加するより、ビーズは素敵だよって言ってるようなものかな」と応える。先端を行くことばかりが重視される現代社会に警鐘を鳴らすような言葉とも感じつつ、中島の創作における世界観を垣間見る。

中島みゆき(なかじまみゆき)
1952年2月23日生まれ。北海道札幌市出身。シンガーソングライター。1975年5月、『第9回ポピュラーソング・コンテスト』で、「傷ついた翼」が入賞。同年9月、「アザミ嬢のララバイ」(キャニオン・レコード)でレコードデビュー。同年10月、『第10回ポピュラーソング・コンテスト』で、「時代」がグランプリを受賞。同年12月、「時代」はシングルカットされ、後に多くのアーティストにカバーされ、今もなお歌い継がれる昭和の名曲の一つとなる。1976年4月、ファーストアルバム『私の声が聞こえますか』をリリースし、それからずっと1年に約1枚のアルバムをコンスタントに発表し続けている。同年、研ナオコに、「LA-LA-LA」と「あばよ」を楽曲提供し、大ヒットに導く。1977年、「わかれうた」が70万枚超えるセールスを記録し、シンガーソングライターとしての地位を不動のものとする。アーティストへの提供曲は、桜田淳子の「しあわせ芝居」(1977年)、増田けい子の「すずめ」(1981年)、柏原芳恵の「春なのに」(1983年)、工藤静香の「黄砂に吹かれて」(1989年)、TOKIOの「宙船」(2006年)、ももいろクローバーZの「泣いてもいいんだよ」(2014年)他、多数。作詞作曲家としても活躍し続けている。70年代、80年代、90年代、2000年代の4つの世代でシングルチャート1位を獲得した日本で唯一の女性アーティストである。2019年1月30日から2月27日まで、赤坂ACTシアターにて、中島みゆき 夜会VOL.20『リトル・トーキョー』(全20公演)を開催予定。