【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#93 歌手・梅沢富美男の言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

かまぼこ板もひのき舞台も一緒だよ。客が決めるんだよ、お前の価値を

『日刊スポーツ』(梅沢富美男、止まらない“熟年の主張”を全文公開/ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム/2018.2.21)より

今回の名言は、梅沢富美男が上梓した『顔で笑って、心で泣いて。-忘れられない母のことば』(ブックマン社)について語られたインタビュー記事からの抜粋である。その記事の中で梅沢は、『梅沢劇団』の初代座長梅沢清の妻であり、娘歌舞伎出身の女優であり、梅沢の母親であった竹沢龍千代の言葉をいくつか紹介している。この言葉はその一つで、厳密には梅沢の母親の名言ということになる。インタビュアーが、大衆演劇と歌舞伎に対する思いを聞いた際、梅沢は母親が常々語っていた言葉を借りて大衆演劇の役者としてのプライドを表現した。他にも、「役者さんは、いろんな役をやるのよと。それで、役者っていうのよ」、「役者の価値はお客が決める。だから引退はない」など、母親の言葉が、そのスピリッツと共に梅沢へと伝承されている。

梅沢富美男(うめざわ とみお)
1950年11月9日生まれ、福島県福島市出身。大衆演劇『梅沢劇団』第3代座長、俳優、歌手、タレント。『梅沢劇団』の初代座長梅沢清の一家に生まれ、1歳7ヶ月で初舞台を踏む。1975年、二代目座長で実兄の梅沢武生の勧めで女形に転身。その妖艶な美しさが評判となり「下町の玉三郎」と呼ばれ時の人となる。1982年、小椋佳が作詞と作曲を手掛けた「夢芝居」で歌手デビュー。同曲は大ヒットを記録し、1983年の『紅白歌合戦』に出場を果たす。1993年、アニメ『笑ゥせぇるすまん』の主題歌に「孤独の唄」が採用される。2005年、親友の前川清とデュオによる「朝まで踊ろう」を発表。1982年、テレビドラマ『淋しいのはお前だけじゃない』を皮切りに俳優として活動を始める。また、ワイドショー『情報ライブ ミヤネ屋』の出演をきっかけに2000年代以降は、ワイドショーをはじめ、バラエティー番組などでコメンテーターやタレントとして活躍。しかし、「自分の本業は大衆演劇なので、いつ降板依頼が来ても構わない」と、『梅沢劇団』第3代座長としてのスタンスを崩すことはない。お茶の間の人気者となった現在も、劇団の仕事を優先している。