【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#100 ミュージシャン・ジョー山中の言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

だから、一番大切なのは、やり続けるということですね。そう! Keep on Rock’n’roll!

『YouTube』(ジョー山中さんがゲスト!バンディズ・アメリカ村 WGO 9月13日番宣/2009.9.9)より

たった2分17秒のインタビューだが、今は亡きジョー山中の話す声を聞くことができる貴重な動画といえる。インタビュアーのバンディ石田は、自身もロックミュージシャンということもあってジョーのロック魂を短時間に見事に引き出している。日本における本格ロックのパイオニアと称されたジョーは、「そういうのっていうのは時が過ぎないとわからないこと」と語り、今回の名言につながっている。ジョーの代表曲「人間の証明のテーマ」の発売当日(1977年8月10日)、彼は大麻取締法違反で逮捕された。この年は、多くの芸能人や芸能関係者が違法薬物関連で検挙され、そのほとんどが簡単に口を割ったことで最終的に逮捕者は約70人にも及んだ。そんな中、ジョーだけは「大麻400グラムは全部オレひとりで使った」と言い黙秘を通し、決して仲間を売るようなことをしなかったという。罪うんぬんは別として、こんなエピソードにもジョーの熱いスピリットを感じる。結果、ジョーの勾留は75日間にも及び、「人間の証明のテーマ」がヒットチャート1位になったことは留置場の中で知ることとなる。ジョーはその後も、様々な苦難を乗り越え、今回の名言通り死ぬまでロックンロールし続けた。

ジョー山中(じょーやまなか)
1946年9月2日生まれ、神奈川県横浜市出身。ミュージシャン、シンガーソングライター。1962年、金平ジムよりプロボクサーデビュー。1963年 、 混血児がテーマの映画『自動車泥棒』で役者としてデビュー。1966年 、 GSグループ「4・9・1(フォー・ナイン・エース)」に城 アキラの芸名でボーカルを担当。1968年 、内田裕也プロデュースによる伝説的ロックバンド フラワー・トラベリン・バンドにボーカルとして参加し、アルバム『ANYWHERE』(1970年)で本格デビュー。1971年、フラワー・トラベリン・バンドの2ndアルバム『SATORI』をアメリカとカナダで同時発売。プログレの代表的なバンドであるエマーソン・レイク・アンド・パーマーとツアーするなど国際的に認められた活動をする。当時、英国の記事でデヴィッド・ボウイは興味のあるシンガーを「ジョー山中」と答えている。1977年 、映画『人間の証明』に俳優として出演。主題歌「人間の証明のテーマ」の作詞(詩人・西條八十の詩の英語詞を担当)と歌唱も担当。約52万枚のヒットを記録する。1979年、映画『戦国自衛隊』のサウンドトラック制作に参加。エンディングテーマ「ララバイ・オブ・ユー」をシングルカット。1982年、ボブ・マーリーのバックバンドだったザ・ウェイラーズと組んでアルバム『レゲエ・バイブレーション1』を発表。1990年、ハリウッド映画『オリテリア・モーティブス』に俳優として出演。この頃からチャリティーやボランティアなどの活動が始まり、アジアやアフリカを中心に各国を巡る。その活動が生涯を通じてのライフワークとなる。2008年 、フラワー・トラベリン・バンドがオリジナル・メンバーで再始動。2011年8月7日、肺癌のため死去。享年64。