【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#102 ミュージシャン・近田春夫の言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

一番の理想は、聴いているだけで警察に捕まっちゃうような音楽なんですよ

『Real Sound』(近田春夫インタビュー/2019.4.11)より

このインタビューは、内田裕也(2019年3月17日死去)のお別れ会の日、2019年4月3日に行われている。近田春夫のプロとしての音楽活動の原点に内田がいた。近田の多彩な音楽遍歴と経歴に培われた音楽哲学を語るに相応しい日である。グループサウンズに始まり、内田流のロックンロールにまみれて、テクノポップ、ラップ、トランスなど、近田は常に革新的な音楽の潮流をいち早くとらえて表現し続けている。そんな近田の理想とする音楽が、今回の名言である。近田は、「エレキギター=不良」とされていた60年代の社会的な風潮を例に出し、「そういう反社会性であるとか、あるいは反逆性であるとか、そういうものが感じられる音楽が好きで」と語っている。お別れ会の参加後、喪服姿のままでインタビューに答える近田の言葉に、ある種の魂を感じてしまう。

近田春夫 (ちかだはるお)
1951年2月25日 生まれ、東京都世田谷区出身。ミュージシャン、音楽プロデューサー、作曲家、音楽評論家。1970年、グループ・サウンズのバンド ロック・パイロットのキーボード担当のサポートメンバーとなる。同時期に、元ザ・ビーバーズの平井正之と成田賢により再結成したロックバンド エモーションにも参加。1971年、クニ河内率いるロックバンド羅生門に参加。1972年、ハルヲフォン(後の近田春夫&ハルヲフォン)を結成する。同年、内田裕也の1815ロックンロールバンドに参加。1975年、谷啓とザ・スーパーマーケットに近田ハルオ名義で参加。1978年、シングル『ロキシーの夜』でソロデビュー。1979年、近田春夫&BEEFを結成。BEEFは翌1980年、近田プロデュースによるジューシィ・フルーツとして分離してデビューする。1981年、近田春夫&ビブラトーンズを結成。1985年、ヒップホップ専門レーベルBPMを設立。1997年7月、NO CHILL OUT名義でゴアトランスEP『Black Light』を発表。2002年、Omb、UKIASHI、USCUSとトランス・バンドThe Lunatic Thunderを結成。2006年、ハルヲフォン(近田春夫&ハルヲフォン・リローデッド)再結成。2013年、京都精華大学のポピュラーカルチャー学部の教授に就任。2018年、近田春夫名義では38年ぶりとなるアルバム『超冗談だから』をリリース。