【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#108 シンガーソングライター・森田童子の言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

ロックというのはね、とても危険な音楽でなくてはいけない

『YouTube』(森田童子インタビュー 1975年「NHK 若いこだま」より)より

本名はもとより素顔や素性がほとんど明かされていない、ミステリアスな森田童子の貴重なインタビュー。聞き手も、アナーキーなロッカー、PANTA(頭脳警察)。今回の名言は、森田が初めてPANTAの曲を聴いて、感じたことを語った言葉。森田は、「私たちのやる音楽というのは、絶対に危険じゃなくてはいけないというのが、根本に私はもっている」と言う。PANTA がロックやフォークが「世間に順応しちゃってる。もっとはみ出した存在であって欲しい」と問えば、森田も「人間ばなれしてしまうというか。なんかこう、獣になる必要があるんじゃないかと思う」と返答。新進のフォークシンガーソンガーと血気盛んなバリバリのロッカーである。ふたりの親和性をみると、本当は音楽にジャンルなんてないのではないかと感じる。

森田童子(もりたどうじ)
1953年1月15日生まれ、東京都出身。シンガーソングライター。1973年、西荻窪ロフトにてライブハウスデビュー。1975年、「さよなら ぼくの ともだち」(ポリドール)で、レコードデビュー。1980年、ポリドールからワーナー・パイオニアに移籍。1983年、アルバム『狼少年 wolf boy』の発売と新宿ロフトでのライブを最後に、音楽活動を休止。カーリーヘアにサングラスという、ミシェル・ポルナレフを彷彿とさせる謎めいた印象で、人前で素顔をさらすことはほとんどなかった。森田童子という名前は、笛吹童子が由来の芸名で、本名は非公開である。実生活についても非公開とされ、インタビューなども少ない。非常にミステリアスなアーティストである。1988年、初期アルバム4作『グッド・バイ』から『東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤』までをCD化。1993年、テレビドラマ『高校教師』の主題歌に「ぼくたちの失敗」(1976年)が採用され話題となり、大ヒットとなる。2003年版のベスト盤『ぼくたちの失敗 森田童子ベストコレクション』に、「海が死んでもいいョって鳴いている」の歌詞を一部変更して、新規に歌唱し録音した「ひとり遊び」が収録された。それが森田の最後の作品となる。2018年4月24日、心不全のため死去。