【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#110 作詞家・岩谷時子の言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

嵐が去った朝
どんな風にも負けなかった
小鳥の巣が
光の枝に
残されていた

『文春オンライン』(母の死、ホテル倒産、20億円の借金……再起を誓う加山雄三に作詞家・岩谷時子が贈った言葉/2019.8.9)より

2019年7月18日に『ラストダンスは私に 岩谷時子物語』(村岡恵理・著/光文社)が発売された。この記事では、同書の第8章『伝説のステージ』の中から、『越路吹雪ロングリサイタル』(1970年)以降に起きたエピソードを特別公開している。今回の名言は、1970年当時、どん底にいた加山雄三と女優の松本めぐみとのバッシングを浴びての結婚に、岩谷が色紙に書いて二人に贈った祝福の言葉である。「あの『追いつめられて』という歌の、岩谷さんの歌詞の、全くその通りになったんですよ」と語る加山の豪気な明るさ。加山の再起のために、無茶な仕事を引き受ける岩谷の優しさ。そして、最悪ともいえる状況下にある加山と、寄り添う決意をした松本の愛の強さに感銘を受けるのである。

岩谷時子 (いわたにときこ)
1916年3月28日生まれ、日本統治下朝鮮京城府出身。 作詞家、詩人。歌手・越路吹雪のマネージャー。1939年、宝塚歌劇団出版部に就職。のちに、宝塚歌劇団の機関誌『歌劇』の編集長に就任。この時期に、当時15歳だったタカラジェンヌ越路吹雪と出会う。越路が宝塚歌劇団を退団して歌手として歩むことになり、越路の付き人となる。1951年から1963年まで、東宝文芸部に所属し、会社員として働きながら越路をサポート。1980年に越路が亡くなるまで、強い絆によってマネージャーとしての仕事を全うした。1952年、越路が出演したシャンソンショー『巴里の唄』の劇中歌「愛の讃歌」で訳詞・作詞を担当。以降、作詞家としての活動が始まる。1963年、ザ・ピーナッツ「恋のバカンス」。1965年、弘田三枝子「夢見るシャンソン人形」。1965年、加山雄三「君といつまでも」。1966年、園まり「逢いたくて逢いたくて」。1968年、ピンキーとキラーズ「恋の季節」。それ以外にも、現在も歌い継がれる数多くの昭和の名曲を手掛けている。1993年 、勲四等瑞宝章受章。2010年4月、岩谷時子賞創設。2013年10月25日、肺炎のため死去。享年97。