【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#129 作曲家・小林亜星の言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

芸術家というのは人が言ってくれるもので、自分で言うことではないんだぞ

『MusicVoice』(INTERVIEW 小林亜星「流行がなくなった」大御所が見る現代の音楽シーン/2019.9.10)より

今回の名言は、小林亜星の師匠である服部正から小林が受けた言葉。服部は弟子たちに「芸術家ヅラしない」ということを一番戒めていたという。小林も、それを作曲家として重要なこととして心に刻んでいるようだ。「まずは最高の職人を目指すんです。そして、最高の作品を作れば周りが芸術家だと言ってくれるようになりますから」と語っている。また、このインタビューで小林は、打ち込みについて問われ、「あれは音楽としてまた違うベクトルで存在している感覚で、私は音楽だとは思っていない」、「もう音楽はいくところまで来てしまった感覚がある」などと、現代の音楽シーンを憂いている。日本の音楽史にその名を刻んだ小林の言葉が、重く胸に響く。

小林亜星(こばやしあせい)
1932年8月11日生まれ、東京都渋谷区出身。作曲家、作詞家、俳優、タレント、歌手。高校生の頃からバンドを組み進駐軍などで演奏し音楽活動を始める。1955年、慶応義塾大学経済学部卒業後、サラリーマンになるが2週間で辞め、作曲家を志し服部正に師事する。 1961年のCM音楽、レナウン「ワンサカ娘」「イエイエ」をはじめ、 サントリー「オールド」、明治製菓「チェルシー」、ブリヂストン「どこまでも行こう」、 日立「この木なんの木」など、 次々とヒットCM音楽を作曲。 1969年に「イエイエ」「エメロンシャンプー」他のCM音楽作曲に対して、第6回放送批評家賞(ギャラクシー賞)を受賞する。1972年、「ピンポンパン体操」が200万枚を超す大ヒット。日本レコード大賞童謡賞を受賞する。 1974年には、巨体を買われて、向田邦子作のTVドラマ『寺内貫太郎一家』に主演し話題を呼ぶ。 それ以来、作詞・作曲以外にも、俳優やタレントとしても活躍する。 1976年、都はるみの「北の宿から」で日本レコード大賞を受賞する。 歌謡曲、演歌らポップス、クラシック、ジャズ、ロック、まで、幅広いジャンルを手掛けている。さらに、ドラマ(『向田スペシャル』『裸の大将』『三匹が斬る』など)やアニメ(『狼少年ケン』『ガッチャマン』『ひみつのアッコちゃん』『魔法使いサリー』など)の音楽も数多く作曲している。2002年、NHK連続テレビ小説『さくら』では、 主人公さくらの祖父役で出演。2015年、日本レコード大賞・功労賞を受賞。2019年8月7日、アルバム『小んなうた 亞んなうた 〜小林亜星 楽曲全集〜』を発売。


仲村 瞳(なかむらひとみ)
仲村瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。
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