【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#130 歌手・三波春夫の言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

舞台に出る真剣な気持ち。そういったものが健康につながっているんじゃないでしょうかね

『2時のワイドショー』/『美男対談』ゲスト:三波春夫さん/1983年4月19日放送より

三波春夫は1961年から始めた、東京・歌舞伎座での『三波春夫特別公演』が1980年に連続20回開催という偉業を成し遂げた。インタビュアーの元タカラジェンヌ・汀夏子が、そのことに触れ、三波の口から出た言葉が今回の名言である。何事もプロ意識を持って真剣に挑めば、自ずと健康管理も怠らないというわけだ。「歌手はアスリート」とはよく言われる言葉だが、三波からもその姿勢が強く感じられる。「お客様は神様です」といつも朗らかな印象の三波。このインタビューでは、他にも三波流の健康法を紹介している。「ヨガの呼吸法での深呼吸」、「酒と煙草はやれない(やらないのではなく)」、「食事はきちっとしたものをいただく」など、昭和を代表する国民的歌手の健康法や趣味などがわかる貴重なインタビューである。

三波春夫(みなみはるお)
1923年7月19日生まれ、新潟県長岡市出身。「お客様は神様です」でお馴染みの日本を代表する歌謡界のスーパースター。1964年の東京オリンピックでは「東京五輪音頭」(1963年)を、1970年の日本万博博覧会では「世界の国からこんにちは」(1967年)が大ヒットする。その頃から、昭和における日本の一大行事には欠かせない歌手として、「国民歌手」と呼ばれるようになる。1939年、東京・六本木の寄席「新歌舞喜」で浪曲師として初舞台を踏む。その3ヶ月後に、浪曲師南篠文若の名で芸能活動をスタート。1944年、第二次世界大戦において徴兵され、帝国陸軍の軍人となる。ソ連軍の捕虜となり、約4年間、シベリア抑留生活を強いられる。1949年、浪曲師として復帰。1957年、芸名を三波春夫と改めて「チャンチキおけさ」で歌謡界デビュー。200万枚以上の売上げを記録し、今も歌い継がれる三波の代表曲となる。1975年には、自らが作詞作曲した「おまんた囃子」が大ヒット。晩年は、ラップやレゲエなど、ジャンルにとらわれず幅広い音楽活動を展開。電気グルーヴとの共演や、ディスコなどでもライブを開催している。2001年、前立腺癌のため死去。享年77。


仲村 瞳(なかむらひとみ)
仲村瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。
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