作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。
『介護 ポストセブン』(由紀さおりデビュー50年 独占インタビュー「2度の離婚、そしてこれから…」/2019.8.30)より
デビュー50周年の節目として、現在<由紀さおり50年記念コンサート2019~2020“感謝”>で全国ツアー中の由紀さおり。小学生時代の童謡歌手の頃から数えると、およそ65年の芸歴になる。その歩みの中で、声帯の薄い小学生時代、姉との軋轢、先輩歌手との死別、子宮摘出手術、2度の離婚など、歌手として、女としての苦悩を、このインタビューの中で赤裸々に語っている。そのひとつとして、「年を重ねると、声がうまく出ないとか、たくさんの量を歌えないとか、悩むことも出てくるんですね。そんな時、先輩がたは、どうやって乗り越えてきたのかしら、教えてほしい、と天を仰ぐこともあるんです」と、語りつつ、今回の名言につながる。その「新しい道」の象徴として「着物」を挙げ、日常でも着物を着こなし、芸域を広げようと意気込んでいるようだ。これからの由紀の活動も楽しみである。
由紀さおり(ゆきさおり)
1948年11月13日生まれ、群馬県桐生市出身。歌手、女優、ナレーター、シンギング・コメディエンヌ。小学校1年生の頃から、姉の安田祥子と共に本名の安田章子の名義で童謡歌手として活動。1965年、「ヒッチハイク娘」で歌謡曲の歌手としてレコードデビュー(本名名義)。1969年、由紀さおりに改名し、「夜明けのスキャット」で再デビュー。同曲は累計売上、約150万枚のミリオンセラーを記録し、『第20回NHK紅白歌合戦』の初出場を果たす。1970年、「手紙」で『第12回日本レコード大賞』にて、歌唱賞を受賞。その後も、快進撃は続き、1973年には「恋文」で『第15回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞する。一方で、『8時だョ!全員集合』など、バラエティ番組にも出演し、コメディエンヌとして高い評価を受ける。『コメディーお江戸でござる』や『道中でござる』にも準レギュラーで出演し、伊東四朗と絶妙な掛け合いを見せている。1983年、松田優作主演の映画『家族ゲーム』で母親役を演じ、日本アカデミー賞助演女優賞を受賞。1987年、NHK連続テレビ小説『チョッちゃん』でも母親役を演じ、女優としてのキャリアも確立させた。1985年、安田翔子と共に、童謡アルバム『あの時、この歌』を発表。童謡ブームを呼び起こす。2009年、由紀さおりに改名してから40周年記念のオリジナルアルバム『いきる』をリリース。2011年、由紀さおりとピンク・マルティーニによるコラボレーションアルバム『1969』をリリースし、世界的に高い評価を受ける。2012年、紫綬褒章受章。2019年、旭日小綬章受章。現在、『由紀さおり50年記念コンサート2019~2020“感謝”』にて、全国ツアー中。