【特別座談会】うちの師匠、どうでしょう!? 三山ひろし、走裕介、桜井くみ子、松尾雄史が語る巨匠の姿(前編)

【座談会】うちの師匠、どうでしょう!? 三山ひろし、走裕介、桜井くみ子、松尾雄史が語る巨匠の姿(前編)

内弟子の10年間、歌の指導が1回もない!?

ーー皆さん師匠から、どんな指導を受けて来られたのでしょうか?

桜井「レッスンの時は本当に怖かったです。最初、上京して内弟子に入って半年から1年位は、毎日、発声練習だけでした。で、当時は先輩のお弟子さんが2人いらっしゃって、その方達は課題曲のレッスンをしていただいているのに。私だけ毎日発声練習だけ。『歌手になれるのかな?』って。『早く歌を練習したいな』、というのもあって、自分でこっそりカラオケでは歌っていたんですけど。全然教えてもらえなくって、ある日、発声練習が続いた後に『よし。走りにいくぞ』って言われて、『えっ!?』って」

走「青春ドラマみたいですね」

桜井「はい。走りに行くぞって言われる前に、発声練習しながら、『好きなものを好きなだけ食べていい』って言われたんです。身体を作るために。私、チョコレートが大好きで、チョコレートパイ6個入りのやつを毎日買って、毎日それを食べてたんです。親元から離れて、好きなもの食べていいんだったらラッキーって思って毎日食べてて、そしたら1年で10キロ太ったんです」

一同「(笑)」

桜井「立派になってしまって(笑)。発声練習も1年頑張った、身体も、ご飯もすごいいっぱい食べましたし。で、『よし、走りに行くぞ』って言われて、そこから1年かけて体重を落としました。声を出す時ってすごい体力使うので、まずは身体をしっかり造って、声をしっかり出せるようにする。声帯を鍛えてから身体をしぼる。10キロ戻してっていうのが最初の指導でしたね。1年半位かかったかな」

ーーそれは大変ですね。デビューのきっかけはどのように決まったのでしょうか?

桜井「デビューのきっかけは、レコード会社の主催のオーディションだったんですが。それまでレコード会社の制作部のオーディションがあって、師匠にお話を繋いでいただいて受けに行くんですけど、全然決まらなくて。今あるレコード会社のオーディションを2巡くらいしています」

一同「ええー!」

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桜井くみ子

桜井「だけど全然ダメで。だから今は現場とかで、ディレクターさんとかお会いすると、『あの時落としましたね』っていう話をするんですけど(笑)」

一同「(笑)」

桜井「でも、その時にデビューしていても、きっと続かなかったと思うんですよね。そういう経緯があって、日本クラウンの創立45周年の記念オーディションを受けたんです。その時、修行時代が8年経っていたので、『もうこれが最後のチャンス、これでダメなら帰ろう』って決めて受けたところ、運よくグランプリをいただいて、翌年にデビューさせていただきました」

ーーそうだったのですね。松尾さんはどんな指導を受けて来られたでしょうか?

松尾「うちの先生、見た目は優しそうなんですが、厳しいですねえ。母親と一緒に長崎から東京に出て来まして、初めてのレッスンで『祝い船』を歌ったんです。『お前、<祝い船>知ってる?』って言われて。初めてのレッスンですよ。そこで歌えって言われると思わなくて、『はい』って言っちゃったんですよ。何となく知っていたので歌ってみたら、ものすごく怒られましてね。こんなに厳しいんだ、こんなに怒られるんだ、帰りたいなと、そこで思いましたね。学生時代もおりこうさんだったので、先生から怒られるとかあまりなかったんですけど。そこでこっぴどく叱られましたね。レッスンの時は怖くて。でも、終わるとすごい優しい先生なんですよ。『こうやって、一生懸命頑張るんだよ』と、『レッスンしていると、デビューできるかできないかわかる』と、『10か月位でわかるんだ』と、『10ヶ月必死でやれ』と。

で、10ヶ月持ちました。もう1人レッスンしていた人は半年で帰りました。ただただ厳しい指導を受けましたね。毎回、課題曲を与えられるんです。水曜日と土曜日、週に2回レッスンがあって、水曜日に知らない歌を覚えて来いと言われて、土曜日のレッスンまでに覚えておかないと怒られるわけです。だから必死でしたね。アルバイトしながらですけど。覚えて歌って、怒られて、を繰り返して、それがだんだん褒められるようになってくるんです。ずーっと怒られていると、褒められるとものすごく嬉しいんですね。怒られている時期を抜け出すまでっていうのがすっごいつらかったですね」

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松尾雄史

ーーそこからデビューまではどの位だったのでしょうか?

松尾「1年半ちょっと過ぎた位に、居酒屋で、『お前、デビュー決まりそうだぞ』って焼き鳥食いながら。そこで決まりました」

ーーその時はどう思われましたか?

松尾「その時は、さっぱりわかりませんでした。『こんなところで言われるんだ』と思って。お座敷の古い焼き鳥屋の2階です。『ああ、そうですか』って。自分ではあまりわからぬまま家に帰ってよく考えたら、『ああ、デビュー決まったんだ』って感じでした」

ーー珍しいパターンですね。走さんはどんなご指導を受けられましたか?

走「僕はですね。内弟子10年やって、歌の指導が1回もないんですよ。これまた、極端ですよね。ほんとにないんですよ」

三山「昔の方、結構多いんじゃないんですか。うちもそうですからね。歌というものを教えてもらったことがないですね。指導を受けたのはデビューが決まった直前でしたもん」

走「デビューが決まってもなかったですよ(笑)」

三山「本当ですか!? レコーディングするのにディレクターが困るだろうと思って、『一応メロディくらいはちゃんと覚えていけ』っていうことで、これはこうだからなって」

走「憧れですよね。先生の横で、先生がピアノ弾いて、『はい、歌ってみて』とか、やるのかなって思ったら、一切ないんですよ。毎日料理を作らさせてもらっていました」

一同「(笑)」

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走裕介

走「怒られるのは料理の味付け! 『走君ねえ、これちょっとしょっぱいんじゃないかい?』みたいな。『そうですか。すみません』って。で、その日の体調に合わせた味付けをだんだん覚えていくんですよね。先輩から教えてもらって。『今日は先生、ゴルフ行ってるだろ。暑いから、汗かいているから味を濃くしておけ』って。ちょっとしょっぱくするんです。そしたら『今日はいいんじゃないか』みたいな。だから本当に料理ばっかり。食べること飲むことが好きな先生だったものですから。魚はそのままの姿で取れっていうんです。冬だとアンコウそのまんまのやつをさばくと、めちゃくちゃうまいんですよ。ただ、アンコウたるものを見るのもさばくのも初めてで。今みたいにネットがないんで、『どうやってさばいていいんだこれは?』って。よくテレビなんかで、吊るして切ったりしてますよね。家であれやるったら大変。5キロぐらいのものが上がったらすぐ連絡をもらって。で、慣れたら結構簡単でほとんど食べられますからね。鍋や唐揚げとか作りました」

三山「それは歌のレッスンではないですねえ」

走「だから、船村先生の作品に『包丁』っていう歌があるんですよ」

一同「(笑)」

走「でも、何でそんなことさせるかっていう持論があったみたいで。アンコウ一つにしても、食材を色んな調理の仕方で自分なりの味付けにして出す。その味付けの部分が、歌を歌う時の、曲と詞をもらったその感性を磨くために作らせてくれていたみたいです」

三山「深いなあ~」

走「網走にいたころは、ご飯を炊いて味噌汁作ったり、カレーライスや卵焼きくらいはできましたけど。まさかアンコウをさばくとは思いませんでした。カツオが上がってきたらまたそれも一本とって。でっかい魚ではブリ。1メートル30センチくらいある箱に入ってくるんですよ。どうやってさばくの?みたいな(笑)。そういうのも先輩から教えてもらって。まあ、色んな料理作りましたね」

三山「なるほど。その時の先輩っていうのは、どなたですか?」

走「天草二郎です。天草出身の」

三山「ああ、天草さん!」

走「その上は、静太郎。静さんとは1年くらいしかいなかったんですけど。天草とは6年くらい一緒にいました」

三山「じゃあみんな、料理番みたいな先輩が必ずいて。その方の後について、味を習って伝授していくんですね?」

走「伝授していくんです」

ーー食材が売っているお店にも詳しくなられたということですが?

走「豆腐は松葉屋の豆腐じゃないとダメとか。わさびは本わさび、肉はここのこれ、醤油は何、酢はミツカン酢とかこだわりがある師匠だったので。そうすると、一か所で買い物が済まないんですよ。あっち行って、こっち行って買物だけで1時間半とかかかっちゃうんです。だから、スーパーの中を走りまわっていました。もう必死ですから。付き人になってからも結構料理やらせてもらいましたからね。賞味7年位は料理やっていましたね。『俺は料理をするために……』と思う位に。でも料理はできるようになりました。色々なものを作らせてもらいました」

三山「走さんは、資格いっぱい持っていますからね。建設の関係とか、玉掛けとかね」

走「鳶職もやっていましたからね、昔」

三山「それでさらに料理ができるようになっちゃったら、もう何でもできますよね」

走「色んなエピソードがありますけど、話を戻すと、歌のレッスンはありませんでした」

一同「(笑)」

ーーデビューのきっかけは何だったのでしょうか?

走「デビューのきっかけはですね。僕も突然なんですよ。8年目くらいの時ですかね。自分の中では、『もういいかな、この先生の付き人でずーっと』と思うくらいに信頼関係はできていたんですね。365日24時間一緒で、内弟子に入って8年目、1月の中位だと思うんですけど。日光から車で先生を乗せて走ってたんですね。いつもは、車が出発してから九段にあるグランドパレスっていう常宿のホテルに着くまで、一言もしゃべらないんですよ。でもその日は何かしゃべっているなって思って。こっちは真剣に運転していますから聞き取れなくて、『先生何か仰いましたか?』って聞き返したら『そろそろ君、船出するか』って言って。船出? 俺、漁師になるのか? って思いながら(笑)」

一同「(笑)」

走「『えっ!?』て言ったら、『君のデビューだよ。もうそろそろな、デビュー考えてるからな』って。おお! デビューだって! っていう感じで。こっちは運転してますから、離すわけにはいかないし、『ああ、ありがとうございます』って言って話をしたことはあったんですけど。それがまず、最初のきっかけですね。そこから少しずつ話が進んで、結局2年後に晴れてデビューになりました」

ーーその2年の間も歌の指導はなかったのでしょうか?

走「ないです。変わらず料理です(笑)。そんな感じでした」

ーー貴重なエピソードをありがとうございます。三山さんはどんなご指導を受けられたのでしょうか?

三山「僕も走さんと同じで、本当にレッスンのレの字もないところでしたね。師匠も、『日常生活が修行だ』というような感じの人だったんですよ。だから、普通に生活のサポートをしていただけで、全く何にもやっていないです。それで、デビューはそれこそ桜井さんと同じ45周年の記念オーディションに僕も出させていただいて。その時、僕が準グランプリだったんですよ。グランプリだと翌年デビューできるんですよ。でも準グランプリだから、その時点で歌手になれないんですよ。その帰りに『頑張ればまたいつかいいことあるから』って先生が言って下さって。

その時に、もういいやって思って。別に歌手になれなくても付き人としてサポートとしてやっていけばと。田舎からなかば捨てた気持ちで出てきて、帰れなかったんですよ。25にもなって失敗して帰るなんてみっともないことできないって、親に対して申し訳ないなと思って。どうやって生きていくかなと考えた時に、弟子として、付き人として、このままでいいやっていうところもあったんですよ。半分以上。どっちかっていうと命を救ってもらった、食べられなくて困っていたところを拾ってくれて飯を食わせてくれたので。それはやっぱり有難みですね。それがすごい身に染みて。これは自分が歌手になるのは置いておいて、まず師匠のために、君が来てくれて助かるよと言ってもらえるようになろうというのが先だったんですよ。だから歌手デビューとかは二の次だったんですね。

僕の中では30越したらやめようと思っていたんですよ。辞めても田舎に帰れないから、師匠のところで生活させてもらって、っていうようなことを考えていたんですね。やっていることといったら、庭の掃除とか、車の運転。車がすごく好きな先生でしたから、洗車したりとか、冬になったらをタイヤ変えたりとか。そんなの当たり前で、大体身の回りのお世話を色々とさせていただいていて、結構気が短い先生でしたから、すぐ怒るんですよ。すぐ舌打ちするんで」

一同「えーっ!」

走「わかりやすくていいですね」

【座談会】うちの師匠、どうでしょう!? 三山ひろし、走裕介、桜井くみ子、松尾雄史が語る巨匠の姿(前編)

三山ひろし

三山「何にも言わないで車運転していて、ちょっとでも車線とか間違えたり、動きがおかしかったら『チッ』って。もうドキドキですよ。『やべえ、怒ってる』、みたいな。で、小さい声でこそって言うんですよ。これまた聞こえてなかったら『言ったろ!』って言われるし。もうそれが怖くて。特別歌のレッスンも何にもなくて。そもそもお弟子さんはいらないっていう先生だったんですよ。当時は事務所に松前ひろ子先生一人、作家の先生は中村典正先生一人、二人の事務所だったわけですから。松前先生としては新しい歌い手も自分の事務所から出したいっていうのがあって、ちょっと良さような人を弟子に入れたいという動きがあったんですよ。だけど中村先生はいらないって言っているのに私を連れてきたっていう感じだったんですね。

だからあんまり、有難がられてなかった(笑)。そもそも弟子ではなくてウェイターで入っているわけですから。ウェイターで入ってしばらくして、じゃあ弟子でやってみるかということで弟子になったので。だからそもそも、こいつを歌い手にしたいなという気持ちはなかったんですよ。言っていたのが、どうせ弟子として入れるなら、鳥羽さんのような男らしい歌が似合うような男を入れたいんだと。『男の港』という歌で、ヒットしていますから。僕は全然、そういう感じじゃないので、『お前には海の匂いがしない』って言われて。確かに『山で育ったしな』って。それでデビュー曲も『人恋酒場』になったんです』

ーー歌はご自身で勉強されたのですか?

三山「歌は自分で考えて歌え、という感じでしたね。先生にレッスンしてほしいと嘆願した人もいましたけど、『教えるわけないよ』って言われて。もうそれでやめちゃった人もいましたし。要するに、自分で考えて自分で歌えるようにならなければ、それは自分の歌じゃないだろうということだったんですね。僕にとってはそれより今、食いつないでいかなきゃいけないと、そっちのほうが先でしたね。家賃も払わないといけないし。でも結局は送り迎えから一日中一緒にいるので、ほとんどご飯も食べさせてもらっていたので、それは良かったですね。困ったのは休みの日だけですね。食事ができないから」

走「休みがあるんですね」

三山「一応あるんですよ。今までずっと住み込みのお弟子さんも入れていたらしいんですけど、他人が家の中に入るっていうのが煩わしかったんでしょうね。だから僕の場合は通いでいいからって言って。それでも一声かけて、すぐ飛んでこれるところにいないと困るからって言って、西葛西に住んでいたのを、先生の近くにアパートを借りて」

ーー内弟子はお休みがないものなんですか?

走「ないです。365日。だから先生から内線が入ったら、夜中の2時だろうが3時だろうが、『はい!』って行かなきゃいけない。日光にいる時にちょうど何かの流星群が来ていたんですよ。夜中の2時位にそれを見ていた先生から『あのなあ、流星群が綺麗だからちょっと見に来い』と内線が入って、『わかりました!』と、先輩に『先生が呼んでますよ』って言って着替えて、『先生! 来ました』と言ったら『綺麗だろ?』です(笑)。さっきまで飲んでいたのにまた寝室で飲んでいるんですよ。『綺麗だろ?』って。『そうですね!』って見えないけど言って。そしたら先生が『ビール持ってこい』ってそこから2時間くらい(笑)。それぐらいやっぱり、感性が豊かなんですね。そういうことがあるので休めません。365日24時間」

三山「そこがやっぱり、通いと違うところですよね。だけどそれだけ近くにいられるというのは幸せですよね」

走「今考えたらそうですよね。で、先生が休んだ後、僕らが飯を食べるんですけど。先生の寝室の下が応接間で、そこが飯を食ったりするところなんですよ。結構、酒飲む人が多かったので、テンションが上がってくると声がでかくなると先生が『お前らいいかげんにせえよ』って(笑)」



【特別座談会】うちの師匠、どうでしょう!? 後編は近日公開です。お楽しみに!



三山ひろし ニューシングル『北のおんな町』

三山ひろし / 北のおんな町
2020年1月8日発売
CRCN-8304 / 1,227円+税
[ 収録楽曲 ]
1. 北のおんな町(きたのおんなまち)
 作詩 喜多條 忠 / 作曲 中村典正 / 編曲 石倉重信
2. 徒情け(あだなさけ)
 作詩 麻こよみ / 作曲 中村典正 / 編曲 石倉重信
3. 北のおんな町 (オリジナル・カラオケ)
4. 徒情け (オリジナル・カラオケ)
5. 北のおんな町 (一般用カラオケ)
6. 徒情け (一般用カラオケ)

走裕介 ニューシングル『流氷列車』

走裕介 / 流氷列車
2020年2月12日発売
CDCOCA-17737 / 1,227円+税
[ 収録楽曲 ]
1. 流氷列車
 作詩 高田ひろお / 作曲 佐瀬寿一 / 編曲 蔦将包
2. 唇は赤き砂漠
 作詩 / 高田ひろお / 作曲 佐瀬寿一 / 編曲 蔦将包
3. 流氷列車 (オリジナル・カラオケ)
4. 唇は赤き砂漠 (オリジナル・カラオケ)
5. 流氷列車 (半音下げオリジナル・カラオケ)
6. 唇は赤き砂漠 (半音下げオリジナル・カラオケ)
7. 流氷列車 (1.5コーラスオリジナル・カラオケ)
8. 唇は赤き砂漠 (2コーラスオリジナル・カラオケ)

桜井くみ子 ニューシングル『風雲太鼓』

桜井くみ子 / 風雲太鼓
2019年12月4日発売
CRCN-8293 / 1,227円+税
[ 収録楽曲 ]
1. 風雲太鼓
 作詞 伊藤美和 / 作曲 原譲二 / 編曲 遠山敦
2. あんたがええねん、好きやねん
 作詞 伊藤美和 / 作曲 藤竜之介 / 編曲 遠山敦
3. 風雲太鼓(オリジナルカラオケ)
4. あんたがええねん、好きやねん(オリジナルカラオケ)
5. 風雲太鼓[男性用カラオケ(2音上げ)]

松尾雄史 ニューシングル『俺の花』

松尾雄史 / 俺の花
2019年12月11日発売
CRCN-8294 / 1,350円(税込)
[ 収録楽曲 ]
1. 俺の花
 作詩:菅 麻貴子/作曲:水森英夫 編曲:杉村俊博
2. 北の旅立ち
 作詩:菅 麻貴子/作曲:水森英夫 編曲:杉村俊博
3. 俺の花(オリジナル・カラオケ)
4. 北の旅立ち(オリジナル・カラオケ)
5. 俺の花(一般用カラオケ)
6. 北の旅立ち(一般用カラオケ)

関連リンク

◆三山ひろし オフィシャルサイト
◆走裕介 オフィシャルサイト
◆桜井くみ子 オフィシャルサイト
◆松尾雄史 オフィシャルサイト

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