作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。
『週刊現代』(「再発がん」からの生還【特別インタビュー】なかにし礼/2015年9月26日・10月3日合併号)より
2015年に、再発した癌から奇跡の生還を果たした、作詞家のなかにし礼。このインタビューの頃は、陽子線治療と抗がん剤治療を並行して受けている。その年の6月からは、死を意識しての闘病生活の中、サンデー毎日で「夜の歌」という小説を連載していた。記事の中で、なかにしは、「私は『ものを書く』という行為を通じて、生きるエネルギーをかきたてられ、生きる意欲が湧いてきていると、日々実感しています」と語っている。これは、今回の名言にある「積極性をかきたてて生きる」ということのひとつの実例と言えよう。そして、インタビューでは「平常心を保つこと」の大切さも伝えてくれている。今回の名言は、混迷を極める現代社会を乗り切るヒントとして受け止められるのではないだろうか。
なかにし礼 (なかにしれい)
1938年9月2日生まれ、満州国牡丹江省牡丹江市出身。作詞家、小説家。1963年頃、依頼を受けシャンソンの訳詞を始める。石原裕次郎とホテルのバーで偶然出会い、作詞家になることを勧められる。1964年、作詞作曲した「涙と雨にぬれて」を石原プロに持ち込む。1966年に石原プロのプロデュースで、裕圭子とロス・インディオスの「涙と雨にぬれて」が発表され処女作となる。1968年には黛ジュンの「天使の誘惑」、1970年には菅原洋一の「今日でお別れ」、それぞれレコード大賞グランプリを獲得している。処女作発表から3年間の間に、なかにし礼が手掛けた楽曲の総売り上げが1000万枚を超える。またたく間に超人気作家となり、作詞家としての仕事以外にもラジオ番組のパーソナリティや舞台演出、作曲、俳優、歌手、コメンテーター、小説の執筆など様々な分野で才能を発揮する。1998年、小説『兄弟』で第119回直木賞候補となる。2000年、『長崎ぶらぶら節』で第122回直木賞を受賞。2012年、食道癌であることを発表し休業。2015年、単行本『生きるということ』を刊行。2016年、サンデー毎日に連載されていた『夜の歌』が単行本化。現在もなお、様々な分野で活動を続けている。