コメディアンの志村けんが死去、享年70

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ザ・ドリフターズの元メンバーで、「志村けんの全員集合 東村山音頭」、「ウンジャラゲ」(志村けん&田代まさしとだいじょうぶだぁファミリー)などのヒット曲でも知られる志村けん(本名・志村康徳)が、新型コロナウイルスによる肺炎のため、3月29日に死去した。

1950年2月20日生まれ、東京都東村山市出身。1968年、いかりや長介に弟子入りを志願。ザ・ドリフターズの付き人を経て、加藤茶の付き人となる。1972年、井山淳とお笑いコンビ・マックボンボンを結成。志村健の芸名で芸能界デビューする。

1973年、メンバー見習いの扱いで、志村けんに改名し、ザ・ドリフターズに加入する。1974年に荒井注が脱退した後、ザ・ドリフターズの正式メンバーとなる。楽器はギターを担当。ザ・ドリフターズのシングル「ドリフのバイのバイのバイ」(1976年)では、志村によるソウルフルな合いの手を披露している。かつて音楽誌『jam』でソウル・アルバムのレビューを寄稿していたほど、ソウルミュージックに造詣が深い。また、津軽三味線の奏者としても知られる。

1976年、「志村けんの全員集合 東村山音頭」が話題となり、当時の東村山市長から感謝状が授与された。1979年には、加藤茶との「ヒゲダンス」。1980年には、童謡「七つの子」の替え唄「♪カラスの勝手でしょ〜」が人気を博した。

1993年には、けん&マーシー名義で、田代まさしとのデュエット「婆様と爺様のセレナーデ」、2001年には、けん♀♂けん名義で、研ナオコとのデュエット「銀座あたりでギン!ギン!ギン!」(プロデュース:つんく)、2002年には、バカ殿様とミニモニ姫。名義で、ミニモニ。との共演作「アイ〜ン体操/アイ〜ン!ダンスの唄」を発表している。

1985年、『8時だよ!全員集合』が終了し、1986年に『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』がスタート。その後、『志村けんの失礼しまぁーす!』、『志村けんのだいじょうぶだぁ』、『志村けんのバカ殿様』など、昭和、平成、令和を通じ多くの冠番組を担った。また、健康オタク、動物愛好家としても知られ、コメディアンとしてだけでなく、コメンテーター、司会など幅広い分野で活躍。日本のコメディアン史、日本の芸能史にその名前を刻む、偉大なエンターテイナーである。

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◆志村けん オフィシャルサイト