【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#155 シンガーソングライター・加藤登紀子の言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

歌なんて、声を出さなくても歌える。歌は心で歌うものですからね

2020年6月28日に開催された<加藤登紀子55th Anniversary Concert 2020 「未来への詩」with Yae>より

新型コロナウイルスの影響で音楽イベントの自粛が続く中、2020年6月28日、東京・渋谷区のBunkamuraオーチャードホールにて、1000人規模の大型公演<加藤登紀子55th Anniversary Concert 2020 「未来への詩」with Yae>が決行された。開催を実現するために、2150名収容の会場で半分以下の1000名に制限、他にも政府が発表するイベント開催のガイドラインに従って対策を徹底したという。加藤登紀子のコンサートでは、観客と一緒に歌う場面も恒例。しかし、今回はそれも禁じられた。そこで観客に向けて「今日は一緒に歌ってねって言っちゃいけないって言われてるんですけど」と語りかけて続けた言葉が今回の名言である。歌の真髄に触れつつ、会場を和ませた魔法の言葉。様々な規制にもめげず、上質なライブ空間を生み出した加藤登紀子とバンドメンバーにスタッフ、そして集まったファンに拍手を贈りたい。

加藤登紀子(かとうときこ)
1943年12月27日生まれ、満州国ハルビン市生まれ。シンガーソングライター、女優、作詞家、作曲家、星槎大学共生科学科客員教授。1965年、東京大学在学中に第2回『日本アマチュアシャンソンコンクール』で優勝。1966年、「誰も誰も知らない」でシングルデビュー。同年、2枚目のシングル「赤い風船」で第8回『日本レコード大賞』の新人賞を受賞。1969年、「ひとり寝の子守唄」で第11回『日本レコード大賞』の歌唱賞を受賞。1971年、「知床旅情」で、ミリオンセラーを記録し、第13回『日本レコード大賞』の歌唱賞を受賞。1972年、 藤本敏夫と獄中結婚。出産のため、音楽活動を休止する。1983年、映画『居酒屋兆治』にて夫婦役高倉健と共演を果たす。以降、女優として、映画やテレビドラマなど数々の作品に出演している。1987年、「百万本のバラ」が大ヒットする。2014年1月1日、全世界に「富士山だ」を音楽配信で発売。現在も、ライブや執筆活動など精力的に活動している。2020年8月10日(月・祝)、東京・千代田区COTTON CLUBにて、<加藤登紀子コンサート 〜花物語〜>を開催予定。


仲村 瞳(なかむらひとみ)
仲村瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。
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