「人形の家」「ヴァケーション」などヒット、歌手の弘田三枝子が急逝、享年73

弘田三枝子

1961年に東芝レコードから「子供ぢゃないの/悲しき片想い」でレコードデビュー、2020年にデビュー60周年を迎えた歌手の弘田三枝子が7月21日、心不全のため急逝した。

弘田三枝子は、小学生の頃から米軍キャンプで歌いはじめ、1961年14歳で「子供ぢゃないの」でデビュー。その後、「ヴァケーション」「すてきな16才」「砂に消えた涙」などのカバー曲のヒットを連発、“パンチのミコちゃん”と称されました。週に10本以上のテレビのレギュラー番組を持つ、国民的な人気者になり、1965年には日本人歌手初の「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」出演で“ポップスクィーン”の名を欲しいままにした。

弘田三枝子

昭和40年当時の写真(提供:日本コロムビア)

1969年にイメージチェンジを計り「人形の家」が大ヒット。ダイエットブームの先駆けとなった『ミコのカロリーブック』が150万部を超すベストセラーを記録。そのパフォーマンスは多くのミュージシャンに影響を与え、桑田佳祐氏は1983年にサザンオールスターズのアルバム『綺麗』に、弘田をテーマにした「MICO」という作品を収録。アンサーソングとして同年に「オー!ケイスケ」をもじった「O-KAY」をリリースした。

2020年はレコードデビュー60周年を迎え、記念曲の制作や記念コンサートの開催などを企画していたが、新型コロナウィルス感染拡大で「来年に持ち越しね!」とスタッフと話し合っていた。ラストシングルは55周年記念曲として2015年に発売された「悲しい恋をしてきたの/ひいふうみいよう」。ラストアルバムは2019年発売の「ゴールデン☆ベスト」(ともに日本コロムビア)。最後の肉声は、亡くなる約一月前の6月15日(月)にYouTube「日本歌手協会チャンネル」で配信された「コロナに負けるな リレー歌謡祭第46弾」で、電話で「早く皆さんに会いたいです」とコメントを寄せてた。

弘田三枝子 / 子供ぢゃないの/悲しき片想い

子供ぢゃないの/悲しき片想い(昭和36年)

弘田三枝子 / リトル・ミス・ロンリー

リトル・ミス・ロンリー(昭和37年)

弘田三枝子 / 人形の家

人形の家(昭和44年)

弘田三枝子 / 悲しい恋をしてきたの

悲しい恋をしてきたの(2015年)

弘田三枝子 / ゴールデン☆ベスト

ゴールデン☆ベスト(2019年)

関連リンク

◆弘田三枝子 オフィシャルサイト
◆弘田三枝子 オフィシャルブログ