【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#166 ロックミュージシャン・矢沢永吉の言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

その先にあるものを追求するべきだと思った

『別冊カドカワ Premium』(総力特集 矢沢永吉/スピリチュアル・メッセージ 矢沢永吉 生きてる限り 何かを感じる限り メロディは出てくる/角川マガジンズ/2012年8月1日発行)より

このインタビュー当時、デビュー40周年を迎えていた矢沢永吉。記事では、そのアニバーサリーイヤーにリリースしたアルバム『Last Song』への想いと、ミュージシャンとしての40年の足跡を語っている。「昔、洋楽の音を聴いて、すげえーって驚いて、あんなサウンドを作りたいって追求して、走って、走って、走ってきた」という矢沢の脳裏によぎった言葉が今回の名言である。「その先」とは、オリジナリティーのことで、「洋楽的なアプローチの追求を経た上で僕の作るべき音楽はなんだろうって。そういうクエスチョンが生まれたのは数年前」と、成功に甘んじることなく、さらなる追求を続けている。それこそが、70歳を越えた今も、現役ロッカーとして第一線で活躍できる力の源ではないだろうか。

矢沢永吉(やざわえいきち)
1949年9月14日生まれ、広島県広島市出身。ロックミュージシャン、俳優。1968年 、高校を卒業してすぐに、「BIGになる」ために上京。横浜のチャイナタウンや日ノ出町などで働きながらバンド活動を始める。1972年、ロックバンド キャロルを結成。ボーカル&ベースギターを担当。1975年、キャロル解散。同年、シングル「アイ・ラヴ・ユー、OK」、アルバム『I LOVE YOU, OK』でソロデビュー。1977年、日本のロックミュージシャンとして初の日本武道館単独公演を敢行。1980年、第1弾ドキュメンタリー映画『RUN&RUN』公開。1994年、テレビドラマ『アリよさらば』に主演し俳優デビュー。同番組の音楽監督も担当した。 1997年、ロンドンのウェンブリー・スタジアムで行われたエルヴィス・プレスリー没後20年記念ロックフェスティバル『songs and visions』にアジア代表として参加し、ロッド・スチュワート、ジョン・ボン・ジョヴィ、ロバート・パーマー、チャカ・カーン等と競演を果たす。1999年、映画『お受験』で映画初主演。同年、世界最大のヨットレース『アメリカスカップ』のテーマソングを担当、初のアメリカツアー『Millennium America Tour』を敢行。2020年10月21日、アルバム『STANDARD』をリリース。現在、楽曲数約500曲、ライブ総数約1900本、総動員数約700万人を超えて、なおも記録更新中という、まさに生きる伝説である。



仲村 瞳(なかむらひとみ)
仲村瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。
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