作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。
『MIKIKI』(インタビュー/カシオ電子楽器 40周年記念企画/高橋幸宏のアイデアがひらめくとき――カシオ電子楽器と振り返る、クリエイティヴィティー溢れる40年/2020.3.9)より
Yellow Magic Orchestra(YMO)の結成当初からカシオ電子楽器を愛用する高橋幸宏。カシオの技術開発にも協力したこともあるほど縁は深い。今回の名言は、カシオ電子楽器40周年記念企画として、カシオの創業者・樫尾俊雄の『樫尾俊雄発明記念館』で行われた、高橋のインタビューからの抜粋。「いいものを創造すれば、必ず人々はそれを必要とする」という、発明家で起業家の樫尾の信念が、新しい音を貪欲に追求する高橋にも通じている。「ビートルズも最新テクノロジーを積極的に取り入れることを、ジョージ・マーティンとともにトライし続けていましたよね。テープを切り刻んだり、新たなエフェクターを開発したり」と語り、今あるテクノロジーを最大限に利用して新しい音楽を作り出すことの重要性を説いている。
高橋幸宏 (たかはしゆきひろ)
1952年6月6日生まれ、東京都目黒区出身。ドラマー、シンガーソングライター、音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、ファッションデザイナー、文筆家、俳優。高校生の頃からスタジオミュージシャンとして音楽活動を開始する。1969年、フォークバンド ガロにサポートメンバーとして参加。1972年、サディスティック・ミカ・バンドに加入。1978年、ソロ活動を開始する。同年、坂本龍一、細野晴臣と共にYellow Magic Orchestra (YMO)を結成。1981年、鈴木慶一と共にThe Beatniksを結成。、活動を開始する。1983年、YMOを散開(解散)。1989年、桐島かれんをボーカルに迎えサディスティック・ミカ・バンドを再結成。1993年、録音スタジオ『CONSIPIO STUDIO』とレコードレーベル『CONSIPIO RECORDS』を発足。同年、YMOを再生(再結成)。2002年、細野晴臣と共に音楽ユニット スケッチ・ショウを結成。2004年、スケッチ・ショウに坂本龍一を加えたユニット ヒューマン・オーディオ・スポンジ (HAS)として、エレクトロニカイベント『sonar』に出演。2006年、7年ぶりのソロアルバム『BLUE MOON BLUE』をリリース。同年、木村カエラをボーカルに迎えサディスティック・ミカ・バンドを再々結成。2007年、YMOを再々結成。2008年、原田知世、高野寛、高田漣らと共に新バンドpupaを結成。2014年、小山田圭吾、砂原良徳らと共に高橋幸宏&METAFIVEを結成。2020年8月、脳腫瘍が見つかり摘出手術に成功。多くのファンが復帰を待ち望んでいる。