作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。
『Y!ニュース』(坂本冬美インタビュー~「演歌歌手・坂本冬美」から伸びた「ロック」という枝葉との31年目/2017.10.26)より
坂本冬美は、1997年に最愛の実父の交通事故死のショックに加え、虫垂炎で救急入院、持病の膵臓炎の悪化と、立て続けに人生の荒波にもまれて心身ともに疲弊。歌に対しての自信も失い、2002年に歌手活動を休止している。このインタビューによると、坂本が2003年にカムバックを果たす力となったのが、二葉百合子に弟子入りした時の体験だったという。今回の名言は、インタビュアーからの「二葉百合子さんからの教えで大きかったものはなんでしょうか?」という質問への答えのひとつ。他にも、「『聴かせてやろう、どうだうまいだろう!』なんて歌は、聴いていて絶対いい歌に聴こえないとおっしゃっていました」と、技術だけでなく、歌手としての心がまえも継いだことを明かしている。どんな時も手を抜かないこと、心をこめること、という二葉の教えは、あらゆる世界に通じるのではないだろうか。
二葉百合子 (ふたばゆりこ)
1931年6月23日生まれ、東京都葛飾区出身。浪曲師、歌手。浪曲師であった父(東若武蔵)に師事し、3歳で浪曲師として舞台デビュー。1957年、「女国定」でレコードデビュー。間奏に浪曲の台詞を入れた「歌謡浪曲」の先駆けとなる。1970年、文化庁芸術祭賞優秀賞受賞。1972年、菊池章子の「岸壁の母」に台詞を入れてカバーし大ヒット。1976年には、同曲で『第18回 日本レコード大賞』審査員会選奨賞、『第9回 日本有線大賞』有線ヒット賞をそれぞれ受賞し、『第27回 NHK紅白歌合戦』に出場を果たす。他にも、「九段の母」「関東一本〆」「瞼の母」「雑草のうた」「残桜抄」など多くの名曲を残している。2011年3月6日、NHKホールにて最終公演を行う。以後は、その後は後進の育成に努めつつ、テレビ出演し、時折、歌も披露している。弟子は、湯原昌幸、石川さゆり、坂本冬美、藤あや子など、錚々たる面々が揃う。