作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。
『FenderNews』(Why We Play vol.4:野村義男 インタビュー【後編】)より
このインタビュー記事では、野村義男の深いギター愛とその遍歴が語られている。今回の名言は、楽器に強いこだわりを持つ人々との交流から野村が得た考え。その理由は、「例えば大瀧詠一さんから連絡が来て、”何年の〇〇持ってる? アンプは何年のツインリバーブね”って言われてさ。”持ってません”って言うと仕事がなくなるから、それがいくらの仕事かわかんないけど、持ってなくても”持ってます!”って言って、その古いギターを買ってアンプと一緒にスタジオに持って行くの。で、”やっぱりこの音じゃなきゃダメなんだよ”ってなる」と振り返る。”楽器好き”だからこそ、野村は大瀧詠一がホンモノであることを知り、大瀧も野村義男を認めたのだ。他にも野村は、エレキギターについて「学校で勉強せずに弾いてるヤツらが、誰にも負けない個性を発揮して世界の頂点に立っている楽器」「スーパースターも夢じゃない」と主張。野村の熱い言葉に触れ、ギターの奥深さや楽器への興味がそそられるインタビューである。
野村義男(のむらよしお)
1964年10月26日生まれ、東京都中野区出身。ギタリスト、音楽プロデューサー。1976年、ジャニー喜多川にスカウトされてジャニーズ事務所に所属する。同年、ジャニーズ少年団というグループのメンバーとして、特撮テレビドラマ『小さなスーパーマン ガンバロン』(日本テレビ)の主題歌でレコードデビュー。1979年、学園ドラマ『3年B組金八先生』に出演。共演していた田原俊彦、近藤真彦とともに、たのきんトリオとして活躍する。1983年、アルバム『待たせてSorry』でソロデビュー。同年、ロックバンド・The Good-Byeを結成。1990年、ジャニーズ事務所から独立。その後は、主にギタリストとして活動する。1992年、ジョニー吉長のソロライブツアーに参加。1995年、自己のレーベル「PEGレーベル」を立ち上げる。1998年からは浜崎あゆみのバックバンドのギタリストとなる。2001年からは、世良公則とも様々なユニットで不定期に活動している。2003年、The Good-Byeとしての活動を再開。2013年には、国際フォーラムにて、The Good-Byeのデビュー30周年ライブが行われた。2018年にも35周年ライブが行われている。 2019年5月31日、福岡Gates’7にて、元ジャニーズのシンガーソングライター・曾我泰久との共演による『ON&OFF LIVE TOUR 2019〜今年もアコギで二人旅始めちゃいます〜』を開催予定。2020年2月29日には、24年ぶりのソロアルバム『440Hz with <LIFE OF JOY>』をリリース。ムッシュかまやつ、金子マリ、Char、世良公則、宇都宮隆、田村直美、近藤真彦、高木ブーなど豪華な収録メンバーで話題を呼んだ。そして、自身の誕生日である10月26日には2枚目のウクレレアルバム『Ukulele Slow Life』をリリース。いま最も、勢いのあるベテランミュージシャンの一人。