【朝ドラ『エール』総集編放送直前コラム】大作曲家が愛した楽器:山田耕筰

決定盤 山田耕筰 歴史的名唱集

12月28日から31日まで、総集編の放送が決定した、NHK連続テレビ小説『エール』。放送記念コラム第三回で取り上げるのは、志村けんが演じた作曲家・小山田耕三のモデルとなった山田耕筰。古関裕二が師と仰いだ、日本における西洋音楽の父の音楽体験とは?

多彩な音楽環境と一本のピッコロ

「二つから七つまで、私は横須賀にいた。私の姉たちはミッションスクールで学んでいた。兄も熱心な日曜学校の教師で、禁酒会の会員でもあった。家にはヴァイオリンもあり、オルガンもあった。家庭で歌われる歌は、主として賛美歌だった」山田耕筰の著作による『自伝/若き日の狂詩曲 はるかなり青春のしらべ』によると、ものごころがついたばかりの記憶の中に、すでに多くの楽器が存在していたことがわかる。

山田が幼少の頃に住んでいた横須賀の鎮守府(日本海軍で、軍区の警備や部隊の監督を行った機関)には、軍楽隊が常備されていた。山田少年は、その行進に魅了され、ラッパやクラリネットの音色にも触れている。また、異人館から流れ聴こえてくる西洋音楽を奏でるピアノの調べに心を奪われたりと楽器の音に多感に反応していたようだ。

山田耕筰の人生には、幼少の頃から、実に様々な楽器が登場する。山田は、長姉恒の夫でイギリス人のエドワード・G・ガントレットに影響を受け音楽家を志すことになる。そして、1904年に東京音楽学校声楽科(現・東京芸術大学)に入学し、チェロやトランペットなどを習得した。「私のトランペットは、時に悲鳴にも似た叫びを挙ることが出来るだけだった」と、山田自身の演奏力を自虐的に表す記述がある。チェロの授業では叱られてばかりで、ピアノも卒業するまで苦手だったらしい。山田は、奏者としては優等生ではなかったのである。

さて、このような音楽環境の中で、山田耕筰が初めて自分の所有物とし、愛した楽器は何だったのだろうか? 今のところそれを示すはっきりとした文献は見つけられない。ただ、山田が少年の頃、義兄エドワードからもらった一本のピッコロを宝物にしていたという話がある。山田はいつもピッコロを持ち歩いていたという。ピアノを弾くことに疲れたり、寂しさを紛らわすために、時折、吹いていたのだとか。

エドワードは、優秀なパイプオルガン奏者であり山田の音楽的才能をいち早く見抜いた人物としても知られている。その証が、ピッコロのプレゼントに込められていたのかもしれない。山田のこのピッコロに対する愛は、山田の作品の中で、最も多くの人に知られている「赤とんぼ」の吹奏楽やオーケストラ演奏にもピッコロが効果的に使われていることからもわかる。


『エール』総集編放送予定

[ BS4K ]
前編:12月28日(月) 午前9時45分~11時8分
後編:12月28日(月) 午前11時8分~午後0時36分

[ BSプレミアム ]
前編:12月29日(火) 午前7時30分~8時53分
後編:12月30日(水) 午前7時30分~8時58分

[ 総合 ]
前編:12月31日(木) 午後2時00分~3時23分
後編:12月31日(木) 午後3時28分~4時56分
ニュース中断(5分) 午後3時23分~3時28分


決定盤 山田耕筰 歴史的名唱集

山田耕筰の遺産(11)器楽曲編

山田耕筰の遺産(14)美空ひばり編



参考文献
『日本歌曲の父 山田耕筰』(著・西条嫩子/音楽之友社/1982年6月20発行)
『作るのではなく生む 山田耕筰』(著・後藤暢子/ミネルヴァ書房/2014年8月10日発行)
『自伝/若き日の狂詩曲 はるかなり青春のしらべ』(著・山田耕筰/長嶋書房/1957年1月1日発行)
『私の履歴書 文化人10』(日本経済新聞社/1984年2月2日発行)


関連リンク

◆『エール』公式サイトによる放送スケジュール