【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#182 シンガーソングライター・あがた森魚の言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

あの「あがた森魚」を超越したいと思うから、未だに音楽を作り続けているんだよね

『CINRA.NET』(特集/あがた森魚インタビュー 震災後に決意した10年計画とメッセージ/2017.4.26)より

あがた森魚を知る人で、「赤色エレジー」を知らない人はいないのではないだろうか。この記事の中で本人も、「僕も45年前、23歳のときに“赤色エレジー”という曲を書いたのだけど(1972年にリリースされたあがたのデビュー曲)、そこに『あがた森魚』の全てがあったとも言える」と語っている。自他共に認める代表作で、フォーク界のみならず歌謡界に衝撃を与えた曲だ。インタビュー当時、あがたは、69歳。そして、今もなお音楽活動を続ける理由が、今回の名言である。インタビューでは、現役ロックミュージシャンであり続ける原動力について率直に語られており、締めの言葉にはロックの神髄が感じられる。「人から狂人、罪人、詐欺師と言われようが、『これがロックンロールだ!』ってやってるやつが、ロックだよ」。


あがた森魚(あがたもりお)
1948年9月12日生まれ、北海道留萌市出身。シンガーソングライター、ミュージシャン、映画監督、俳優、エッセイスト。高校2年生の時に、ボブ・ディランの「Like a Rolling Stone」の影響で、作詞作曲に目覚める。1970年、『IFC前夜祭』にて初ステージに立つ。1970年、鈴木慶一と出会いロックバンド アンクサアカスを結成(後の、あがた森魚とはちみつぱい)。1971年、あがた森魚と蜂蜜ぱいの名義で、<中津川フォークジャンボリー>に参加。1972年、キングレコード内に設立されたベルウッドの第一弾アーティストとして林静一の同名漫画を題材としたシングル「うた絵本 赤色エレジー」でメジャーデビュー。同年、「赤色エレジー」を再録して再リリース。約50万枚売り上げる大ヒットとなった。よしだたくろうや、泉谷しげる、友部正人とともに”ニュー・フォーク四人の旗手”と呼ばれ、一躍スターダムにのし上がる。1974年、あがたの脚本・監督・主演・音楽による映画『僕は天使ぢゃないよ』を製作。1981年、ニュー・ウェイヴ・バンドのヴァージンVSを結成。2008年、60歳を迎え還暦記念全国ツアー『惑星漂流60周年!』を展開。2009年、ドキュメンタリー映画『あがた森魚ややデラックス』を公開。2013年、<FUJI ROCK FESTIVAL’13>に出演。2020年12月12日、『浦島2020』をリリース。現在72歳にして、絶賛活動中。



仲村 瞳(なかむらひとみ)
仲村瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。
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