【インタビュー】歌謡殿堂レジェンド〜成功への道〜第三回:扇ひろ子(前編)

【インタビュー】歌謡殿堂レジェンド〜成功への道〜第三回:扇ひろ子(前編)

島倉千代子さんに叱られた時のこと

ーー高校卒業後、コロムビアと契約を結ばれたのですね。

そうです。18歳の時です。昭和38年にテストを受けました。花村菊枝さんの「花の奴さん」、美空ひばりさんの「哀愁出船」、こまどり姉妹さんの「未練ごころ」という歌を3曲歌いました。それで、一発で合格したんです。


ーーその時の3曲は扇さんが選ばれたのですか?

レッスンしていた時に、大阪の先生がこれとこれ、って。花村さんは前歌でお世話になった人だから「花の奴さん」っていう歌が選ばれました。ちょっと手拍子が入るような曲ですね。ひばりさんの「哀愁出船」は歌いこむような曲で、「未練ごころ」は、遠藤実先生のやっぱり歌いこむ歌ですけど。パターンが違う曲を選んだんですね。


ーーその3曲を歌われ、一発で合格とはすごいです。他に受けに来ていた人はいたのでしょうか?

その時は私一人です。日にちが決まっていて、一人でスタジオでのテストでした。ガラスの中に、ディレクターとかコロムビアの宣伝とか関係者とか、そりゃあ、たくさんいたと思いますよ。20人か何人かは。


ーーそれは緊張しそうですね。

ぜんぜんしないんですよ。子供だから。緊張っていうのは無かったですね。意外と平気でしたね。


ーー緊張なさらないのですね。その時以降もでしょうか?

いや、緊張することはありましたね。島倉千代子さんに叱られたことがありました。デビュー曲の「赤い椿の三度笠」っていう股旅ものを歌ったのですが……。緊張すると、どうしても声帯が締まったりするから、日頃の実力の10%出せないんですね。それをモニターで島倉さんが聴いていて、緊張しているのが伝わったのだと思います。すぐ楽屋に呼ばれて、「あなたはね、新人でもコロムビアというマークを背負っているんだから、自信を持って堂々と歌いなさい、いつまでも緊張してるんじゃないよ」って言われて、「すいません!」って(笑)。


ーーそれは貴重なエピソードです。

その通りなんですよね。やっぱり、扇ひろ子ってデビューしたら、コロムビアの扇ひろ子だから、「看板を背負ってるんだから、それに恥じないように堂々とやりなさい」というアドバイスだと思いました。


ーー良い心がけですし、励みになるお言葉ですね。

それで、紅白(第18回、第19回)に出た時に思ったんです。自分の与えられている時間はたったの3分。でもその時、全国、日本の津々浦々の人達が観ている。視聴率もすごかったですからね(第18回は76.7%、19回は76.9%)。外国の人も観ている。島倉さんに、「その3分で緊張して歌うのか、堂々と歌うのか、そこを考えなさいよ」と言われて。それだったら堂々と3分間、いい歌を皆に聞かせると。「まして人が出られない紅白に、推薦されて出ているのだからやりなさい」と言われたら、すーと気持ちが落ち着きました。もう全然あがらないし、「聴いてください」って気持ちで、すごくいい歌を歌ったと思います。


ーーそれは凄いです。

紅白には2年連続で出させていただきました。2回目(1968年)に私が「みれん海峡」を歌った時、森君(森進一)が「花と蝶」を歌いました。その紅白で、「みれん海峡」が歌唱賞を受賞したんです。我ながらいい歌を歌っていますよね。私、この間観返したんですけど、やっぱり声も伸びてるし、堂々といい歌を歌っているなと。


ーー2回とも緊張なさらずに。

全然。堂々と歌えましたね。3分を自分のものとして歌わせてもらったと思います。


ーー素晴らしいことです。ちなみに、扇さんが出演された際、「新宿ブルース」の時の対戦相手が春日八郎さん、「みれん海峡」の時の対戦相手が村田英雄さんでした。

ええーっ!! 全然覚えてない。なんだ、年寄りばっかりだったんですね(笑)。そうでしたか!


ーー対戦相手の方とお話しされる機会はあったのでしょうか?

ありません。当時は、楽屋がコロムビアだったらコロムビアの控室だったんです。だから私は島倉千代子さんや都はるみさんと一緒でした。レコード会社ごとに男性と女性で分かれているから、白組の人と会うこともありません。宝塚劇場でしたね。


ーー島倉さんや都さんとはお話をされていたのですか?

私と都さんは新人ですから、はじっこのほうにいて、島倉さんはちゃんと上座にいました。あんまり無駄なお話はしなかったですね。島倉さんもやっぱり神経を集中していたと思うんですよね。私なんかはまだ新人だから……。ただ、「紅白に出ているんだ」という喜びと感謝でいっぱいでした。「いい歌を歌おう!」という、そういう気持ちでしたね。いい時代の紅白に出させていただきました。


ーーその時代、演奏も豪華だったんですよね。バンドが紅白別で、オーケストラも入っていて。

そうそう。いい時代だったよね! 今の紅白と全然重みが違います。オープンニングで客席から紅組と白組に分かれて出て行くんですよ。あいうえお順に並んで、紅組は前田美波里さんがプラカードを持って歩いていました。それで通路から、白組が上手で、ステージ上にはひな壇が両方に置いてあって、紅組は下手でした。ひばりさんだけはセンターに最初からいましたね。ひな壇の真ん中にデン! と座ってらっしゃって。私の心境はただのファンみたいに「わっすごい! ひばりさんがいるー!!」って。紅白に出て一番嬉しかったのはそれですね。ひばりさんとか、大スターの方々と一緒の舞台に出られるんだって。何回も顔をつねって、「あ、痛いから夢じゃない」って思いました。「本物の島倉さん、ひばりさんがいる!」っていう。憧れの人ですから。嬉しくて嬉しくて、夢心地でした。雲の上をふぁんふぁんといるような感じで(笑)。


ーー感動的な体験ですね。ひばりさんとお話される機会はあったのでしょうか?

紅白の時はお話ししていません。ただ、その後、ひばりさんが歌うコロムビアの自主番組で、またひばりさんに会うことができました。ひばり先輩がステージに立った時は、もう、上手も下手も人でいっぱいですよ。一番最初に島倉さんが観てらっしゃるから私がそのうしろから観ました。ひばりさんのしぐさとか歌とか、少しでも勉強しようと思って。すごかったですね! ところが、ある日、島倉さんが「最近の子はだめね。先輩の舞台を観ようともしないわね」とぽつりとおっしゃったんです。その頃は、確かに上手も下手も人が誰もいなくなっていました。


ーー先輩の舞台を観ることも大事な勉強なのですね。

でも、もう観なくなりましたね。それを島倉さんがぽつんとおっしゃっていたのが、すごく印象的です。ひばり先輩が出た時は、上手下手が真っ黒になるくらい、みんな「わーっ!」て観てましたよ。


ーーいちファンになってしまうのですね。

そうそう。いちファンとして観てるんですよね(笑)。紅白の時も「柔」を歌ったと思うんですけど、観ていたら「ぞぞぞぞぞーっ」て鳥肌が立って。終わったら「すっごーい!!」って、お客さんに負けないくらいの拍手をしました。島倉さんも一人のファンとしてひばりさんを見ていたようです。それはご自分でも言っていましたね。コロムビアにいた人はみんな、ひばり先輩の芸は尊敬していました。盗めないんだけど、少しでも勉強になるところは真似したい、というのはありました。ひばりさんはお芝居をやっているから、その役になり切って歌いますよね。「柔」だとああいう格好で、芸者の歌は、そういうそぶりでやられるし、それはもう役者魂なんです。普通の人は歌うだけじゃないですか。ひばりさんは、上手く表現できないですけど……。すごい人でしたね。


ーー歌とお芝居の両方をやられている方は、表現力が磨かれるのですね。

今、歌とお芝居の両方やる人ってあんまりいないですね。やっぱり、ひばりさんの場合はもう、芸者さんの歌では本当に芸者さんになるし、男の歌ではバリっとして。背が小さい方なんだけど、すごく大きく見える。やくざものになるとバッと握りこぶしてそうやってみたり、鼠小僧もやってみたり。やっぱり歌は芝居をしなきゃだめだなと……。それはお勉強していますね。


【インタビュー】歌謡殿堂レジェンド〜成功への道〜第三回:扇ひろ子(前編)


ーー扇さんもお芝居を学ばれ、映画女優としても活躍されていますが、そのきっかけは何だったのでしょうか?

石井輝男監督が、「新宿ブルース」を歌う私をテレビで見ていらして。その頃、石井監督は『昇り竜 鉄火肌』っていう映画を撮る予定でいたんです。それで、扇ひろ子に『昇り竜 鉄火肌』の主演で迎えたいんだけど、どうか? って話がきたんです。私の「新宿ブルース」を見て、任侠ものに合うんじゃないかって思ったんじゃないでしょうか。顔かたちとか、目もくりっとしてないし、顔がちょっと面長だし、姐さんタイプだったんじゃないですか? 声も太いし。だってこれ(※『姐御』のDVDジャケット写真を指し)22歳には見えませんよね? せいぜい28歳……。



ーー貫禄がありますね。素敵です! ポーズ、演技などの指導はどう行われていたのでしょうか?

演技指導は監督なんですけどね。任侠ものだから、やっぱり鋭い顔で……。内容によっては、鋭さと、その鋭い中にも憐れみのある顔とか、表情が色々あるんですよ。敵役に行く時は鋭い顔で。ドスをこう差すわけだから……。人を助ける時には優しい姐さんになる。色々勉強させていただきました。


ーー好きな男性を見つめる表情や、小林旭さんと盃を交わした後の何とも言えない表情が私は特に好きです。目が美しいです。

私は目が小さいんですよ。目の中に照明さんが光を入れなきゃいけないじゃないですか。普通だったら正面向いていると、照明さんも入れられるんですけど、下を向いて言う台詞があると照明さんが寝転がって「(光が)入らないなあー! なんとか一つ入れたい」って。「すみません、目が小さくて」って(笑)。照明さん泣かせでしたよ。だから、沢口靖子さんとか、目がくりっとした女優さんは照明さんが楽ですよ。


ーー映画の中で、盃を交わしたり、襲名の儀などのシーンも出てきますが、本物の方から指導を受けるのでしょうか?

そうです。本物が来ます。でないと、例えば、鯛を置く方向とか、お頭の方向が間違っちゃいけないし、名前を書いてビラを貼るあれも必ず、ああいう時は上下はないんですよね。そういうものは本物でないとわかりませんから。しきたりはわからないですよね。割るんでも、どういう割り方とか、色々と……。監督もわかりませんからね。私は安藤昇さんに壺振りを教えてもらいました。


ーーあの安藤昇さん直々とはすごいです!


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