【インタビュー】歌謡殿堂レジェンド〜成功への道〜第三回:扇ひろ子(前編)

【インタビュー】歌謡殿堂レジェンド〜成功への道〜第三回:扇ひろ子(前編)

私、クソ度胸があったんです。映画の撮影秘話

私、度胸があるから。監督が「サイコロが壺に入らずに、外に飛ばしちゃっても笑わないで演技を続けてくれ」って言うんですよ。他の俳優さんがうまくいかずにコロコロと飛ばしちゃうと、私、笑っちゃうんですよ。でも、私は飛ばすことなくできましたね。


ーーあれは難しそうですが。

素質があったのかもしれない(笑)。手本引きでもね、前から後ろから、上手くやっていました。


ーー安藤昇さんからは何と言われましたか?

やっぱり褒めてもらえましたね。勘が良いと言われました。


ーー素質があったのですね。『女囚701号/さそり』でも、扇さんの壺振りシーンがあり、格好良いです。

あの映画(『女囚701号/さそり』)の撮影期間中は、背中なんかはひっかき傷だらけでしたよ。本当に背中ひっかかれて、ミミズばれになりましたね。刑務所の中のシーンでね。


ーー女囚や看守達によるリンチやケンカのシーンがありますが、本当にやっていたのですね……。

本気でくるから、もうミミズばれだらけですよ。ハサミなんかもあったと思うんですけど、本当に怖いですよ。一歩間違えたら怪我じゃすまないですからね。加減していると観ているお客さんもつまらないじゃないですか。この映画(『昇り竜』シリーズ)の第三作目では、ドスで足切りました。


ーーええー! ドスは本物を使うのですか?

本物でした。アップのシーンで。池部良さんと一緒のシーンで、ドスをグッと構えるシーンだったんですね。照明さんが上にいたんだけど、構えた時にガクンとなったんですよ。NGになって、ハッと足を見ると太ももが三角に割れて肉の中がピンク色で……。それですぐ、照明さんが首に巻いていたタオルで止血して救急車で運ばれました。その傷はいまだにありますね。日活の3大事故の1つだと言っていましたけど……。


ーーそれは大怪我ですね……。日活の3大事故があるのですね。

裕次郎さんが肋骨折った事故と、赤木圭一郎さんのゴーカート事故と。私はそれと、小指を切るシーンで、ここ(指の間)をドーンと刺すんですよ。これも本身で撮るんです。相手の目線を見て刺すのですが……。私よりも周りがハラハラしていましたね(笑)。


ーー怖いですね……。

私、クソ度胸があったんです。ところが梶芽衣子ちゃんは目がいいんですよ。だから、アップの時、本身の長ドスがバンッと目の前に来るとあのコは目をつぶっちゃうんです。普通は、怖くて構えていられないんです。私は目が悪いから距離感がわかっていないから、目を見開いていられました。嵐冠十郎先生も「あんたすごいなあ。瞬きしまへんのか」って。私は「よく見えてないですから」って。芽衣子ちゃんは見えちゃうから目をつぶっちゃう。だからそういう所は近眼で得しましたね。近眼になったのは映画のせいなんですけどね。ライトのレフで、だんだん悪くなりました。


ーー全く動じていないように見えます。

刀が当たったり、竹光が当たった傷が絶えなかったですよ。その変わり、相手のからみの人も胴巻きを巻いていますから、思い切り来てくれと。本身じゃないですよ。竹光で、バシーンって行きますよ。


ーー痛いのでしょうね。竹であっても。

でも巻いていますから。本も入れて当てていいように。外すとえらいことですが……。当ててもいいところを目がけてバシっと行きます。


ーー肉体的にも大変なご苦労が絶えないのですね。

でも楽しかったですね。結構嫌いじゃなかったし、すごい楽しかったです。


ーー『女囚さそり』シリーズも、もっと扇さんの出演シーンを観たかったです。そういう声も多かったのではないでしょうか。

そうね。あれは伊藤俊也が助監督から初めて監督になった作品で、応援出演してくれないかということで引き受けたんです。ちょうど結婚する予定でハワイに行かなきゃいけなくて、引っ越しも決まっていて、最後の撮影だったんです。それで、第2作は出られませんでした。


ーーそうだったのですね。存在感のある魅力的な女囚役でした。

芽衣子ちゃんを助ける役でね。


ーー女囚達が看守の命令で、穴を掘り続けるシーンも大変だったのでしょうね。

ああ、あれはブルドーザーも使ってね。読売ランドでした。「穴掘る」って言ってずーっと掘って、掘ったら今度はずーっと埋めて、それをずっと待って……。朝から夜までかかりました。若くないとできないですね(笑)。


ーー1971年に『闇の中の魑魅魍魎』という映画に出演されて、この作品でカンヌ国際映画祭に招かれたのですね。フランスでも大人気だったということです。

大人気でしたね。裸のシーンとかキスシーンとか嫌で嫌でしょうがなかったけど、中平康先生にどうしてもって頼まれて……。しょうがないなと思ってやりました。麿赤兒さんが私の相手の絵師金蔵の役なんですけど、髭がボーボーで気持ち悪いんですよ。で、キスシーンがあった時に「すみません、麿赤兒さん、キスシーンの後、うがいしてもよろしいでしょうか? 申し訳ありません」って、許可を得てうがいして(笑)。ちょっと合わせるだけなんですけど、失礼なことに(笑)。その時は、私は26歳だったんですが。子供だったんですね。そうしたら「いいですよ、どうぞどうぞそうしてください」って言われて。四国の高知でずっと撮影していました。余談ですけど、撮影中に三島由紀夫さんが割腹自殺なさったと情報が入って、みんな「えーっ!」ってなって撮影がほったらかしになったのも覚えています。


ーー三島由紀夫が割腹自殺をした事件は、1970年11月25日です。

その翌年の1971年に『闇の中の魑魅魍魎』でカンヌに行きましてね。貴重な体験です。パトカーの先導もすごかったですよ。私は母もいましたけれど母と事務所の社長は同じ車じゃなくて何台か後でないとだめなんですね。主演と監督だけが先頭で。そして監督と私が赤い絨毯の上を歩きました。階段を上る時、両サイドがものすごい数の人。みんなブラックネクタイでカメラマンも正装していて、そこの真ん中を上がっていって2階席の一番前へ行くんです。下にはお客様がいらして。それで終わったらスタンドアップして、お客様から拍手していただいて。岸恵子さんもパリから応援に来てくれたり。あと、『男と女』の監督のクロード・ルルーシュ監督のヨットにご招待されて。そこでも「いいとこいきそうだよね」なんて噂はものすごくあったんです。でも、審査員の一人だった女優のミッシェル・モルガンが、「野蛮だ!」というその一言が影響したようです。血の出るシーンがたくさんあって、日本人は野蛮過ぎると。あまりにも強烈だったんじゃないんでしょうかね。確かに目を覆いたくなるようなシーンがふんだんにありますから。そこでグランプリを逃したと言われました。


ーー時代がまだ追いついていなかったのか……。

そうそう。内容は良かったんですよね。だからこの時(カンヌにて扇がジョン・レノンとオノヨーコと一緒に映っている写真)、映画のパンフレットを見てもらって。このパンフレットの英語版、私はまだ持っているんですけど、「こういう風に出ているんです」、と説明をさせていただきました。「じゃあ見ますね」と、通訳の人が言ってくれたんですけど。ジョン・レノンとオノ・ヨーコにパンフレットを見せているところですね。


ーーこの場所はどちらなんですか?

ホテルです。このお二人が、ホテルを1つ貸切っていて。周りに警備やカメラマンもいっぱいいましたね。この時もカメラマンは決まった人だけ。誰も入れちゃいけないと。身体検査もありました。ご自分の家の前でも、とても注意していましたよ。そこまで注意していたのに、撃たれて殺されてしまって……。本当に残念です。


ーー厳重だったのですね。他にどんな会話を交わされたか覚えていらっしゃいますか?

ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミ―」を買いましたって伝えました。英語も興味があったので、亡くなられた弘田三枝子ちゃんから英語を教えてもらっていたんです。そういう話もしたと思います。


ーー弘田三枝子さんも登場するとは!

仲良かったんですよ。同じコロムビアで。ぽっちゃりしててね、かわいい子で。晩年もずっと友達でしたね。あの子がアメリカに行くまでずっと。あの子の家に行ったり、食事に行ったり。男性のことも全部知っていました(笑)。


ーーかなり濃いご関係ですね。お話に登場する方々もすごいです。

演歌の友達いないでしょ。伊東ゆかりちゃんも仲良い、ミコ(弘田三枝子)でしょ。木の実ナナちゃんとかね。どっちかというとポップス系統の子のお友達が多いの。ナナちゃんのディナーショーで横浜行ったり、ゆかりちゃんは一緒にお寿司食べにいったり、あの子の車乗ったり、週刊平凡で一緒に表紙になったこともあるから。顔が似てるって私とゆかりと沢たまきさん、似てるって言われて……。




インタビュー後編は近日公開




<扇ひろ子 歌手生活55周年記念ディナーショー>

日時:4月26日 受付 17:00 / お食事 17:30 / ショータイム 18:15
会場:東京・池袋ホテルメトロポリタン 3階「富士」
出演:扇ひろ子
ゲスト:佐々木新一 / 園まり / 小松みどり / 真木洋介

チケット
料金:20,000円(税・サービス料込)予約制
お食事・着席料理 / お飲み物・フリードリンク

問:オフィス 扇ひろ子 03-3795-7313


関連リンク

◆扇ひろ子 オフィシャルサイト

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