【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#190 俳優・歌手 松田優作の言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。


やり続けるしかないんだよ。でも、大事にひとつひとつ手を抜かずにやっていればどっかでそれをちゃんと見てる人がいると思う。だからその人が近づいてきたときに弾ければいいんじゃないか

『GLOCAL Mission Times』(特集 時代の表現者たちが語る“SELF TURN”/のある社会 ー石橋凌/2017.12.29)より

1977年から伝説的ロックバンド・ARBを率いてボーカリストとして活躍し、1986年からは俳優としての存在感も光らせ続けている石橋凌。このインタビューによると、「音楽を辞めて九州に帰ろうかなって。ほかの仕事を探すぐらいまで落ち込んでた」時に出会ったのが松田優作なのだとか。今回の名言は、当時、石橋が悩みを松田優作にぶつけた際に、松田から投げかけられた言葉。その後、松田から「ただお前がいる音楽の世界よりも俺がいる映画の世界のほうがメディアとして大きいから、映画で名前と顔を売ったらどう?」と言われたことがきっかけで、石橋は役者として羽ばたくのであった。以降、石橋は松田の意志を引き継ぐように、1995年にSAG(アメリカの映画俳優組合)に入り、1997年からは音楽活動も再開した。時間がかかっても意思を通し、「自分が本物にならないといけない」と今も言い続ける石橋。その言葉と生き様からも多くのことが学べるインタビューである。


松田優作(まつだゆうさく)
1949年9月21日生まれ、山口県下関市出身。俳優、歌手、映画監督。1971年、金子信雄主宰の劇団『新演劇人クラブ・マールイ』に入団。1972年、『文学座付属演技研究所』の十二期生となる。1973年、刑事ドラマ『太陽にほえろ!』にてジーパン刑事役で俳優デビュー。同年、志垣太郎主演の東宝『狼の紋章』にて映画初出演も果たす。1974年、コメディ・青春映画『あばよダチ公』で映画初主演。1976年、アルバム『まつりうた』で歌手デビュー。同年、自身が作詩を手がけたシングル「銀次慕情」をリリース。1979年、角川映画『蘇える金狼』に主演。同年、テレビドラマ『探偵物語』に主演。1980年、『野獣死すべし』に主演。同年、ロックバンド・松田優作&エディ藩グループを結成し、内田裕也主催の<ニュー・イヤー・ロック・フェスティヴァル>に出演。映画『鉄騎兵、跳んだ』にて主題歌を担当するなど、音楽活動も活発になる。1986年、映画『ア・ホーマンス』製作途中で監督が降板し、自らが監督を務めた。これが初監督作品となる。1989年、映画『ブラック・レイン』に出演。ハリウッドデビューを飾り、世界的に話題を呼ぶが遺作となる。1989年11月6日、死去。享年40。



仲村 瞳(なかむらひとみ)
仲村瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。
◆昭和歌謡文化継承委員会 Twitter
◆偉人達の借金名言集 Twitter