【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#193 音楽家・ミッキー吉野の言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。


あんまりうまく演っちゃうと、大事なエネルギーが欠けちゃう

『音楽ナタリー』(清竜人✕ミッキー吉野 次の時代へとつなぐ浪漫のバトン/2018.7.25)より

2009年にデビューした、シンガーソングライター・清 竜人。“一夫多妻制”アイドルユニット 清 竜人25、演者と観客との境界線を取り払ったバンドプロジェクト・TOWNなどで注目を集める。2018年に発表されたソロシングル「平成の男」は、ゴダイゴのミッキー吉野がアレンジを担当し、この異色とも思える対談が実現。今回の名言は、そのレコーディングにおいて、ミッキーが最も必要としたことである。ミッキーの経歴や音楽的完成度の高い作品を知ると、少し意外な言葉にも感じられる。ミッキーは、「必要な要素は、エネルギーだと思うんだよね。そこでまずは、ベテランをそろえるよりも、若手のミュージシャンで録ったほうがいいんじゃないかと考えて。うますぎると、つまんなくなって飽きるのが早い。なので最近よく一緒にやってる二十代のミュージシャンに集まってもらいました」と語る。「若いシンバルがうるさすぎ」たりしても、「必要なのはそこ」という主張に清も、「いやあ、深い」とひと言。他にも、「未来から来たり過去から行ったりすることができるのが音楽じゃん」、「求められないとできないことっていっぱいあるんだよね。自分がやりたいことって案外どうでもよかったりするじゃん(笑)」など、日本のポップス界をリードし続けてきたミッキーの金言に溢れた対談である。


ミッキー吉野(みっきーよしの)
1951年生まれ、神奈川県横浜市出身。ロックバンド・ゴダイゴのリーダーであり、キーボードを担当。作曲家や編曲家としても活躍している。1966年、ミッドナイト・エクスプレス・ブルース・バンドのメンバーとして米軍キャンプをはじめ、横浜本牧のナイトクラブなとで音楽活動を始める。1968年、実力派GSバンドのザ・ゴールデン・カップスに参加。1971年、アメリカのバークリー音楽大学に留学。卒業後、帰国して1974年に吉野グループを結成する。1975年、ボーカルのタケカワユキヒデが加わり、バンド名が吉野グループからゴダイゴに変わる。1978年に「ガンダーラ」、「モンキー・マジック」、1979年に「ビューティフル・ネーム」、「銀河鉄道999」など、次々と大ヒットを飛ばす。1985年、ゴダイゴが活動休止(2006年に活動再開)。1990年、『ドラゴンクエスト アベルの伝説』のBGMを担当。『ハッピーフライト』(2008年)、『ハッピーウエディング』(2015年)など、映画音楽も手掛けるほか、音楽学校創設、スタジオ活動など幅広く活動。ローランドのシンセサイザーの開発にも携わっている。現在もなお、精力的に音楽活動を続けている。2021年6月9日、ゴダイゴのデビュー45周年を記念し、アニバーサリー本『45 Godiego 1976-2021』が発刊される予定。



仲村 瞳(なかむらひとみ)
仲村瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。
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