【扇ひろ子 55周年記念】第一弾・扇ひろ子の足跡と伝説

扇ひろ子


1964年のデビューより55周年を迎えた扇ひろ子。ここでは、歌手としてのデビューから、スター歌手になるまでや、映画女優としての活躍といった偉大な足跡を、伝説的エピソードを交えながら紹介する。


扇ひろ子
1945年、広島県広島市生まれ。生後6ヶ月で被爆し父親を失う。1964年8月6日、原爆遺児を代表して広島平和記念式典で「原爆の子の像」を歌い話題となる。同年、「赤い椿の三度笠」でレコードデビュー。翌1965年の「哀愁海峡」、ご当地ソングの先駆けとなった1967年の「新宿ブルース」がヒットしてスター街道に。NHK紅白歌合戦に2回連続出場を果たす。また、女任侠映画で女優としても開花し、その演技が世界的に評価された実績もある。2021年4月26日、池袋メトロポリタンホテルにて、扇ひろ子の歌手としての集大成となるステージが開催される。


1980年、有線で1位を記録した伝説の「新宿ゴールデン街」

1980年にラジオ番組『タモリのオールナイトニッポン』で、扇ひろ子の「新宿ゴールデン街」(作詞:山口洋子 作曲:あかのたちお/1975年)が放送されると、多くの人々が仰天した。番組では、タモリのアイデアにより、レコードの回転数を本来の45回転から33回転に変えて放送。すると、扇の台詞を語る声が太くなり「新宿二丁目バージョン」に聴こえるのだ(本楽曲は歌は無く、台詞のみ)。これが話題を呼び、1980年に「新宿ゴールデン街」は再発され、有線でも1位を記録。ある世代にとっては、この33回転版の扇の声に馴染みが深いのかもしれない。当時、ゲイバーでも大人気となって、あちこちのお店から「扇さん、遊びに来てよ!」と誘われたという。まさに知る人ぞ知る、伝説的歌謡の一曲である。


“原爆の子”として注目を集めたデビュー、「新宿ブルース」のヒット

扇の芸能界デビューまで時を遡れば、デビューそのものも伝説的といえる。1964年8月6日、広島平和記念式典で、原爆遺児と紹介された当時19歳の扇は、原爆慰霊碑前に立ち「原爆の子の像」(作詞:石本美由紀 作曲:遠藤実)を歌った。
「♪青空あおぎて 平和を祈るや 折鶴さゝげし 少女の像よ」
平和記念公園にある『原爆の子の像』のモデルとなったのは、被爆したために白血病を発症して12歳で亡くなった佐々木禎子さんという少女。原爆に命を奪われた子どもたちに追悼の意を込めたブロンズ像の名前であり、楽曲の名前でもある。歌手デビューした扇の初舞台となるも、版権が広島市に寄贈されため、公式なデビュー曲は同年にリリースした「赤い椿の三度笠」と記録されている。

1945年2月14日に扇がこの世に生を受けた半年後の8 月6日。まだ、乳呑み児だった扇は、母乳を受けようとした瞬間、広島に投下された原爆により被爆している。被爆者である扇が「原爆の子の像」を歌うと、“原爆の子”として、マスコミは書き立てた。2020年12月3日に惜しくもこの世を去った、女流漫画家の草分け的存在の花村えい子が、扇の経験を元に『なみだの折り鶴』(『なかよし』1965年10月号付録)という作品にしている。

こうして1964年にデビューした扇は、1967年に「新宿ブルース」が大ヒットし、脚光を浴びることになる。今日まで脈々と続く「ご当地ソング」の先駆けである。同曲は当時、日本に返還前の沖縄で「沖縄ブルース」としてリリースされた。メロディは同じで、「♪夜の新宿流れ花」が「♪夜の沖縄流れ花」と、地名の部分が変えられている。

『テレビの青春』(著・今野勉)という本の中に、次の一文がある。「その沖縄がどんなにか深い孤悲と絶望のうちに戦後を生きてきたのか。〈中略〉六七年、今野勉が作ったテレビ・ドラマのなかで東京に出てきた沖縄出身の女性が扇ひろ子の『新宿ブルース』にある『西を向いてもだめだから東を向いてみただけよ』という一節を口ずさむ姿のうちに見てしまっていたのだった」。沖縄の人にとっては「沖縄ブルース」としてインプットされ、心情もこもった馴染み深い歌なのだ。扇は、「新宿ブルース」でNHK紅白歌合戦に初出場。翌1968年には「みれん海峡」で、2年連続の紅白出場を果たす。


この「新宿ブルース」の歌唱姿をテレビで見た映画監督・石井輝男に抜擢され、当時、流行していた“女任侠映画”に主演。高校時代から劇団で演技を学んでいた扇は表現力が高く、女優としても開花する。当時、「東映の藤純子」「大映の江波杏子」、そして「日活の扇ひろ子」として人気を博した。扇が主演する女任侠映画は10本製作され、ヒットを連発。その頃、「斜陽」と言われるに至っていた日活を救った。まさにドル箱スターとして華々しく活躍したのである。


扇ひろ子のリアリティ溢れる演技力の秘密

当時、日活の任侠映画に主演していた高橋英樹、小林旭、村田英雄、北島三郎、仲代達也、田中邦衛、杉良太郎、渡哲也、黒沢年雄などなど、主だった出演者の刺青を全て描いた伝説の刺青師・河野弘は、扇とは家族ぐるみの付き合いだったという。扇が出演した一連の任侠映画の扇の刺青も河野が担当した。

河野は扇と共に「一緒に勉強を兼ねて名だたる博徒の方の家に遊びに行った」というように、扇の豪胆さを物語る逸話も多く残っている。扇の壺振りや手本引きなどの演技は、俳優に転身した伝説のヤクザ・安藤昇から手ほどきを受けて「勘がいい」と誉められたのだとか。その飛び抜けた度胸の良さは自他ともに認めるところである。

カルト的人気を誇る映画『女囚701号/さそり』では、女ヤクザであり殺人犯の女囚・進藤梨恵を演じた。扇の演技は鬼気迫るものでリアリティは群を抜いている。扇による壺振りシーンはもとより、刑務所の中での格闘シーンでは、身体中が傷だらけになるほど迫真の演技だったという。映画『昇り竜』シリーズの第三作目では、撮影中に本身のドスで足を深く切る大怪我をする。これは、石原裕次郎が肋骨を折った事故と赤木圭一郎のゴーカート事故に並ぶ、「日活の3大事故」のひとつに数えられている。


そして、1971年に出演した日活映画『闇の中の魑魅魍魎』。カンヌ映画祭では、問題作として世界の名だたる映画人から高評価を得た。この映画を鑑賞したクロード・ルルーシュ監督からはヨットに招待され、ジョン・レノンとオノヨーコからは貸し切りのホテルに招待されたりと、現地で熱烈な歓待を受けている。しかし、人気とは裏腹に、ショッキングなシーンに「野蛮だ」という声があがったことで、惜しくも受賞を逃がす。

このように昭和の激動の歌謡界、映画界を駆け抜け、平成、令和と今もなお活躍し続けていること自体が、伝説的偉業である。その活動55周年の締めくくりとなる集大成コンサートが、4月26日に開催される。扇と縁の深い歌手のゲスト出演も豪華で、この機会だけの奇跡の時間が味わえそうだ。

文:仲村 瞳


扇ひろ子 歌手生活55周年記念ディナーショー


<扇ひろ子 歌手生活55周年記念ディナーショー>

日時:4月26日 受付 17:00 / お食事 17:30 / ショータイム 18:15
会場:東京・池袋ホテルメトロポリタン 3階「富士」
出演:扇ひろ子
ゲスト:佐々木新一 / 園まり / 小松みどり / 真木洋介 / ロイ白川 / 黒木美帆 / 三貴じゅん子

チケット
料金:20,000円(税・サービス料込)予約制
お食事・着席料理 / お飲み物・フリードリンク

問:オフィス 扇ひろ子 03-3795-7313


関連リンク

◆【インタビュー】歌謡殿堂レジェンド〜成功への道〜第三回:扇ひろ子(前編)
◆【インタビュー】歌謡殿堂レジェンド〜成功への道〜第三回:扇ひろ子(後編)
◆扇ひろ子 オフィシャルサイト