日本のポップスの先駆者・服部良一の「僕の音楽人生」シリーズ2作品が配信スタート

服部良一


日本のポップス音楽の先駆者として活躍した作曲家・服部良一(1907年~1993年)の作品を集めた「僕の音楽人生」シリーズ2作品の音楽配信がスタートした。

服部良一は1936年に日本コロムビアの専属作家となり、当時最先端のポップスだったジャズの要素を流行歌に採り入れた。戦後はビクターとも作家契約を締結して、歌手だけでなく作家も専属契約が強固だった時代に、日本コロムビア、日本ビクターという二大レーベルと同時に契約を結んだ異例のヒットメーカーで、服部が送り出したヒット曲は、淡谷のり子「別れのブルース」、霧島昇・渡辺はま子、「蘇州夜曲」、笠置シヅ子、「東京ブギウギ」、藤山一郎・奈良光枝「青い山脈」、高峰秀子「銀座カンカン娘」、灰田勝彦「東京の屋根の下」など枚挙にいとまがない。それらの名曲の数々は多くのアーティストにカバーされて今でも親しまれ輝き続けている。

1989年に日本コロムビアから発売されロングセラーとなった、服部良一「僕の音楽人生」は、作曲家・服部良一の多彩な才能とその変遷を示すため、ヒット曲の他にコーラス、ジャズ・アレンジ、様々なリズムものなどの巾広い作品を発売順に編集したアルバムで、2003年には続編となる、服部良一「東京の屋根の下~僕の音楽人生 1948~1954」がビクターから発売された。令和の時代に入り、幅広い世代にも服部メロディーを親しんでもらえるように、コロムビアとビクターのレーベル2社が共同で配信する。


服部良一『僕の音楽人生』(コロムビア編)

服部良一『僕の音楽人生』(コロムビア編)
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服部良一『東京の屋根の下 ~僕の音楽人生 1948~1954』(ビクター編)

服部良一『東京の屋根の下 ~僕の音楽人生 1948~1954』(ビクター編)
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■服部良一 プロフィール
1907年10月1日 大阪市生まれ
1926年(19歳) 大阪フィルハーモニック・オーケストラに入団。オーボエ担当
1936年(29歳) 日本コロムビアの専属作家となる。入社第1回作品「おしゃれ娘/淡谷のり子」
1937年(30歳) ジャズ・コーラス「山寺の和尚さん」作曲、その後「雨のブルース」「別れのブルース」「蘇州夜曲」「一杯のコーヒーから」「湖畔の宿」など大ヒット連発
1941年(34歳) 太平洋戦争勃発で、服部のジャズの音楽性排除される
1945年(38歳) 終戦を上海でむかえる。12月帰国
1948年(41歳) 「東京ブギウギ/笠置シヅ子」大ヒット。ビクターとも作家契約を結び「東京の屋根の下/灰田勝彦」が大ヒット
1949年(42歳) 「青い山脈/藤山一郎、奈良光枝」大ヒット。日本国民的なスタンダード・ソングとなる。他にも、「銀座カンカン娘」「買物ブギー」「三味線ブギウギ」などヒット曲多数。
1950年(43歳) 6月 “ブギ海を渡る”で笠置シヅ子等と渡米。11月帰国。
1951年(44歳) 帰国報告記念ショー「ホノルル、ハリウッド、ニューヨーク」を日劇で発表。
1993年1月30日 永眠 享年85歳 国民栄誉賞を受ける

服部良一は洋楽のフィーリングやリズム、ハーモニーを活かし、日本ポップスの先駆者として、いまの日本ポップス隆盛の最大の功労者であると同時に、永遠に語り継ぐべき世界に誇れる作曲家である。