作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。
『扇ひろ子 歌手活動55周年の記念ディナーショー』(2021年4月26日開催)より
2021年4月26日、池袋メトロポリタンホテルにて、扇ひろ子の歌手活動55周年記念コンサートが開催された。扇と縁の深い豪華ゲストもお祝いに駆けつけ、その中でトリを努めたのが、昭和を代表する国民的スター・園まり。1966年に「逢いたくて逢いたくて」が大ヒットした園と、1967年に「新宿ブルース」をリリースした扇とは、当時から歌番組で一緒になる機会が多かったのだとか。園はポップス、扇は演歌といった印象が強く、少し意外な友情出演のようにも感じるが、当時から「プライベートでも自宅に訪れる」ほどの仲だったという。昨年、足の骨折で手術を受けた園は、扇の励ましに支えられたという感動秘話も披露。今回の名言は、園が会場の観客に語りかけた、決意ともとれる言葉である。コロナ禍の現状から「このさなか、歌、音楽は本当に素晴らしいと、私共も感じております。私もひろ子さんと共に……」という話の後に明かされた。生涯現役の思いを聞けるのは、ファンにとって最上級に嬉しいことではないだろうか。優しく可憐で艶のある歌声も健在で、勇気と感動を与えられるステージだった。
園まり(そのまり)
1944年4月12日生まれ、神奈川県横浜市出身。歌手、女優。1954年、声楽家の安西愛子に師事。コーラスグループ・杉の子子ども会を経て、キング児童合唱団へ入団。1956年、本名の薗部毬子名義で、童謡歌手として「つゆの玉ころり」でデビュー。1960年、オーディション番組『あなたをスターに』にて優勝。1961年、渡辺プロダクションに入社。1962年、「鍛冶屋のルンバ」で、園まりとしてデビュー。同年、音楽バラエティ番組『森永スパーク・ショー』やテレビドラマ『レッツゴー三人娘』、1963年には映画『ハイハイ3人娘』になどに、中尾ミエ、伊東ゆかりと共に“スパーク3人娘”として出演し人気を集める。「マッシュ・ポテト・タイム」(1962年)、「太陽はひとりぼっち」(1962年)、「女王蜂」(1963年)など、所謂、洋楽の日本語カバーでヒットしていたが、1964年、「何も云わないで」がNHK『きょうのうた』で披露されたことから、歌謡曲としての初ヒットを記録。その後、「逢いたくて逢いたくて」(1966年)、「夢は夜ひらく」(1966年)、「愛は惜しみなく」(1967年)などの歌謡曲のヒットを連発。この3曲については園まり主演による映画化もされ、大スターと呼ばれるに相応しい存在となる。『NHK紅白歌合戦』には、1963年から1968年までの6回連続出場を果たす。1966年と1967年のマルベル堂のプロマイドの売り上げでは、女性歌手部門で第1位に輝く。2006年、25年ぶりのシングル「2人はパートナー」(韓国ドラマ『初恋』挿入歌)をリリース。2011年、「もう一度逢いたくて」をリリース。2019年、『第61回日本レコード大賞』功労賞受賞。現在もなお、様々なステージに立ち、歌や語りを提供し続けている。2021年6月27日、京都府立文化芸術会館にて、『第20回盲導犬育成チャリティーコンサート2021』にゲスト出演予定。