【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#199 シンガーソングライター・井上陽水の言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。


何気ない日常生活のなかに潜んでいるものを僕は探していきたい

『ORICON MUSIC』(井上陽水が語る、忌野清志郎さんとの共作秘話/2014.5.24)より

史上初のLPミリオンセラーを記録した、井上陽水の『氷の世界』(1973年12月発売)の制作秘話や、忌野清志郎との共同制作曲「帰れない二人」(1973年9月発売、『氷の世界』にも収録)の思い出などが明かされた貴重なインタビュー。井上の回想によると、『氷の世界』発表以前の歌謡曲の大半は、表の部分を表現するのがメインだったという。「裏の部分なんて、わざわざ歌にしなくてもさ~っていう風潮でね(笑)。『自己嫌悪? だれがそんな歌聞きたいのよ~』って言われてたワケで」「でも僕はむしろ表面的なものはあまり好きじゃなくてね。“裏路地”が好きだったんですね、昔から(笑)」と振り返る。今回の名言は、井上の当時からの姿勢。「今後も変わらないんじゃないかなぁ」という言葉で話は締めくくられている。独特で難解な歌詞でありながら、世代を超えて多くの人を熱狂させる井上作品。その魅力の秘密に迫ることができるインタビューである。


井上陽水(いのうえようすい) 
1948年生まれ、福岡県嘉穂郡出身。シンガーソングライター、作詞家、作曲家、音楽プロデューサー。1969年、アンドレ・カンドレという名前で「カンドレ・マンドレ」(CBSソニー)でレコードデビュー。六文銭が演奏し、小室等が編曲した、知る人ぞ知る名曲である。しかし、アンドレ・カンドレの曲は世に受け入れられなかったのか、3枚のシングルを残してあっけなく活動を停止してしまう。和田アキ子主演映画『女番長 野良猫ロック』(1970年)にモップスなどと共に出演し「カンドレ・マンドレ」を歌っている。1972年、名前を井上陽水と改め、「人生が二度あれば」で再シングルデビューを果たす。同年、1stアルバム『断絶』がリリースされ、人気が急浮上し始める。1973年、シングル『夢の中へ』が初ヒット。そして、同年発売のアルバム『氷の世界』が、アルバムとして日本市場で初のミリオンセラーを記録し、井上陽水の音楽家としての地位を不動のものとする。その後も、『9.5カラット』(1984年)が約100万枚を売り上げ、『第27回日本レコード大賞』で作曲賞とアルバム賞を獲得する。1999年、ベストアルバム『GOLDEN BEST』が約200万枚の売上を達成。後に、妻となる石川セリをはじめ、山口百恵、沢田研二、中森明菜、安全地帯、小椋佳、かまやつひろし、PUFFYなど、錚々たる顔ぶれに作詞家としてあるいは作曲家として作品を提供している。今後の活動も楽しみである。



仲村 瞳(なかむらひとみ)
仲村瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。
◆昭和歌謡文化継承委員会 Twitter
◆偉人達の借金名言集 Twitter