【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#205 ギタリスト・寺内タケシの言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集


作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。


うまくなろうと思わないほうがいいよ。ギターなんか、心のままに弾けばいいんだから

『Asagei plus』(天才テリー伊藤対談「寺内タケシ」(3)ギターを触ったら寝られなくなるよ/2017年6月9日配信)より

演出家の“天才”テリー伊藤が、“エレキの神様”寺内タケシの天才性を探るインタビュー。今回の名言は、テリーによる「ギターは毎日触るんですか?」という質問により発せられた言葉。テリーの問いに寺内は「触らない」とあっさり一言。しかも寺内は、「もし1週間休みだとしたら、1週間まったく触らない」のだという。「仕事がない時なんかにギターに触っちゃうと『あの曲はこうしたほうが』『もうちょっと、こんな弾き方を』とかやってるうちに、あっという間に夜が明けちゃうんだよ(笑)。うまくなろうと思わないほうがいいよ。ギターなんか、心のままに弾けばいいんだから」と、名言につながる。5歳からギターを弾き始め、日本にエレキブームを巻き起こした寺内が会得した極意なのだ。ギターに限らず、「心のままに」を大切にするのは、どの分野でも重要なことなのだろう。


寺内タケシ(てらうちたけし) 
1939年1月17日生まれ、茨城県土浦市出身。ギタリスト、作曲家。5歳でギターを弾き始める。1962年に、日本初のエレキバンドである寺内タケシとブルージーンズを結成。1965年頃から、地方自治体や学校などで、エレキギター禁止令が敷かれるようになり、全国的にエレキ追放運動が始まった。理由は「不良化と結びつくため」であった。そこで、寺内は「自分ができないと思ったらどんな小さなこともできない」という思いで立ち上がる。日本中の高校を尋ね歩き、“芸術鑑賞の時間にハイスクールコンサートを披露させて欲しい”と嘆願。以後、コンサートは1,400校を超え、その功績が認められて2005年に児童福祉文化財に指定される。ロシアをはじめ、アメリカ、ブラジルなど世界的に公演を続けている。2008年に秋の叙勲で長年のボランティア活動が緑綬褒章を受章。2019年、奈良県三郷町の公演でホールコンサートを復活。2020年、ニューアルバム『ミスター”エレキ”ザ・テリー・ワールド』をリリース。2021年6月18日、器質化肺炎のため死去。享年82。「日本のエレクトーンの開発者」、「5歳の時にエレキギターを自作した」、「安岡力也が追っかけ」、「ベンチャーズが白旗を上げた」など、寺内伝説には枚挙にいとまがない。座右の銘は「半世紀以上ギターを弾いてきて一つだけ分かった事、それは『ギターは弾かなきゃ音が出ない』」である。



仲村 瞳(なかむらひとみ)
仲村瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。
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