【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#207 歌手・郷ひろみの言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集


作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。


簡単に手に入るものは簡単に逃げる。だから簡単に手に入るものに、僕は魅力を感じない

『THE SANKEI NEWS』(話の肖像画/歌手・郷ひろみ(65)(6)一流と「超」一流の違いは/2021年1月7日配信)より

いつの頃からか、郷ひろみには“ストイック”というイメージが定着した。実際に、この記事にはそれを立証するかのような本人の言葉で溢れている。今回の名言は、その生き様を象徴する言葉のひとつ。とはいえ、郷は禁欲的とも言える自身のライフスタイルについて、「僕の中では普通のことを普通にやっているだけなんです」と事も無げに語っている。しかし、その根底には「簡単に手に入らないから、それだけ時間をかけて、どう自分自身を変えていくのか。そこに時間をつぎ込んでいくことが大切だと思うんです」という信念がある。「苦しさも超えると楽しみになってくる。だからもっと続けようと思うんです」という考え方も影響しているようだ。そして、一流と超一流の違いについて、「それはすべてを兼ね備えていて、さらにツキがあること。ツキは自分に甘えなかった人間に舞い降りる。それをわかっていて、なおかつ努力していった人間が、一流から超一流になれるんじゃないかと思っています」とも語っている。人生において何度も“旬”を引き寄せてきた郷。その秘訣に触れることのできるインタビューである。


郷ひろみ(ごうひろみ)
1955年10月18日生まれ、福岡県糟屋郡須恵町出身。歌手、俳優、タレント。1972年、NHK大河ドラマ「新・平家物語」にて俳優としてデビュー(清盛の弟、経盛役)。同年、「男の子女の子」(CBSソニー)で歌手としてレコードデビューし、『第14回日本レコード大賞』にて新人賞を受賞。1973年、ブロマイドの年間売り上げが1位となる。名実ともにトップアイドルの仲間入りを果たす。1977年、テレビドラマ『ムー』(TBS)に出演。俳優としても高い評価を受ける。1979年から1980年まで『カックラキン大放送!!』(1975年~1986年/日本テレビ)など、バラエティー番組にも出演。お茶の間の人気者となる。歌手としても、「よろしく哀愁」(1974年)をはじめ、「あなたがいたから僕がいた」(1976年)、「お嫁サンバ」(1981年)、「哀愁のカサブランカ」(1982年)、「2億4千万の瞳 -エキゾチック・ジャパン-」(1984年)、「GOLDFINGER’ 99」(1999年)などヒット曲を出し続けている。日本の男性ソロアーティストとして歴代4位となる約1300万枚のセールスを記録。現在まで105枚のシングルを発表。2018年、コンサートツアー<Concert Tour 2018 -Urban Velocity- UV>を開催。2019年、ロックフェス『音髭』に大トリ出で登場し圧巻のパフォーマンスを披露。2020年、自叙伝「黄金の60代」(幻冬舎)を出版。2021年8月4日、通算106枚目となる両A面シングル『100GO!回の確信犯 / 狐火』をリリース。現在、全国ツアー<HIROMI GO CONCERT TOUR 2021 “Beside The Life” ~More Than The Golden Hits~>を実施中。



仲村 瞳(なかむらひとみ)
仲村瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。
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