【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#214 ミュージシャン・矢野顕子の言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集


作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。


閉ざされた世界の中で、私だけではなくきっと多くの人が音楽によって救われていたと思います

『Real Sound』(『音楽はおくりもの』インタビュー/矢野顕子、バンドへの確信から生まれた“ポップスの醍醐味”「45年経っても、音楽だけは突き詰めたい自分がいる」/2017年7月25日配信)より 

今回の名言は、矢野顕子のデビュー45周年を飾るニューアルバム『音楽はおくりもの』(2021年8月25日発売)を記念したインタビュー記事からの抜粋である。ニューヨーク在住の矢野は、ロックダウン中、家から川沿いをジョギングしていた時に「音楽のことが降ってきた」という。すぐに気持ちを曲にしたいと思い、帰り道ではもうサビのフレーズが浮かんでいたのだそうだ。矢野はその際、心に浮かんだ大貫妙子やキャロル・キングの音楽に癒され、そして、このアルバムの表題曲「音楽はおくりもの」が生まれたのである。同曲はコロナ禍に生きる人々への矢野からのメッセージソングともいえる。「そういう経験(ロックダウン)をしたことは辛いですけど、この曲が書けたことは素直によかったと思ってます」と語る矢野。どんな事も表現活動へとつながっているのだ。このインタビューには、様々な閉塞感から抜け出すための重要なヒントが詰まっている。


矢野顕子(やのあきこ)
1955年2月13日生まれ、青森県青森市出身。高校在学中に、レストランでピアノ演奏の仕事を始める。ピアノの弾き語りで人気を集め、高校を中退。父親の知人だった作家の安部譲二の家に居候しつつ、当時、安倍の妻の遠藤瓔子が経営するジャズクラブ「青山ロブロイ」に出演し、業界人の間で知られることとなる。1973年頃から、セッション・ミュージシャンとして、アグネス・チャン、荒井由実、吉田美奈子など、多くのミュージシャンのレコーディングにキーボードとコーラスで参加。1974年、バンド・ザリバ名義で、デビューシングル「或る日」をリリース。1976年、矢野顕子としてデビューアルバム『JAPANESE GIRL』をリリース。1977年、NHKのAMラジオ番組「若いこだま」のパーソナリティを担当。この頃、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)にサポートメンバーとして参加。1978年、YMOメンバーとの共同活動を開始する。1981年「春咲小紅」がカネボウ化粧品のCMソングに起用されヒットする。1990年、バラエティドラマ「やっぱり猫が好き」のオープニングテーマに「David」が起用される。1992年、弾き語りシリーズの第一弾となったアルバム『SUPER FOLK SONG』をリリース。同年、ドキュメンタリーフィルム「SUPER FOLK SONG – ピアノが愛した女。」も上映。1999年、アニメ映画「ホーホケキョ となりの山田くん」の音楽を担当。藤原先生役で声優にも挑戦。1999年、織部賞を受賞。2003年、アニメ映画「あたしンち」の主題歌を担当。同年よりBlue Note TOKYOでのライブを始める。2008年、アニメ映画「崖の上のポニョ」では、声優としてポニョの妹役を担当。2010年、森山良子とユニット・やもりを結成。2021年8月31日、Blue Note TOKYOにて“矢野顕子 featuring 小原礼・佐橋佳幸・林立夫『音楽はおくりもの』リリース記念ライブ”を開催予定。



仲村 瞳(なかむらひとみ)
仲村瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。
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