【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#222 作曲家 キダ・タローの言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集


作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。


音楽というのはそれだけ力があります。その曲を聴いて死にに行こかという曲もある

『デイリー』(キダ・タロー あの楽曲はどのようにして誕生したのか…「アホの坂田」編/2017年10月28日配信)より

“浪花のモーツァルト”と称される作曲家キダ・タロー。CMソングを多く手掛け、『アサヒペン』『チキンラーメン』『出前一丁』『かに道楽』『日本海みそ』『兵衛向陽閣』など、お茶の間で親しまれる名曲を生み出してきた。この記事では、漫才コンビ・コメディーNo.1の坂田利夫のテーマ曲「アホの坂田」(1972年発売)をフィーチャー。「戦後、私はバンドでピアノをひいていました」と語り出すキダ。進駐軍専用のキャバレーで演奏すると喜ばれたのがメキシコの伝統音楽「メキシカン・ハット・ダンス」で、そのパロディで「アホの坂田」が生まれたと明かす。同曲はヒットの兆しが見えるも、「坂田という名前の子供がいじめられるからやめてくれ」と全国校長会から抗議があり、リリースから2週間で発売禁止となった。キダは「なるほどと思いました」と語り、今回の名言「音楽というのはそれだけ力があります。その曲を聴いて死にに行こかという曲もある」につながる。「質のいい軍歌は戦時中に聴きますと『死んでもいい』という気になります。音楽はそういう力を持っています」と言うキダから、音楽の本質をとらえる真摯な一面が感じられる。発売禁止になってもなお愛され続けた「アホの坂田」を、令和の今改めて聴いてみてほしい。イントロから名演奏に引き込まれ、コミカルなコーラスとボーカル、軽快なリズムに愉快な歌詞も楽しく、悩みなどどうでも良くなるような明るさと破壊力のある曲である。


キダ・タロー (きだたろう)
1930年12月6日生まれ、兵庫県宝塚市出身。作曲家、ピアニスト、タレント、ラジオパーソナリティ、実業家。20代の前半頃より、義則忠夫とキャスバオーケストラのピアニストとして活動。1964年、北原謙二の「ふるさとのはなしをしよう」でプロの作曲家としてデビュー。以降、『プロポーズ大作戦』(1973年)『ラブアタック!』(1975年)をはじめとする人気テレビ番組の主題歌や、『出前一丁』『かに道楽』『兵衛向陽閣』『小山ゆうえんち』などのCMソングでも広い世代に馴染み深いメロディを提供している。また、市町村歌、校歌、応援歌なども手掛けている。作曲家としての活動に加え、テレビ番組において『ものまね紅白歌合戦』(フジテレビ)の審査員や『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送テレビ)の探偵局2代目最高顧問として出演するなど、タレントとしてもお茶の間で根強い人気を博している。2014年、『第69回 文化庁芸術祭 大衆芸能部門』大賞を受賞。90歳を超えた現在も精力的に作曲活動を続けている。



仲村 瞳(なかむらひとみ)
仲村瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。
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