【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#225 シンガーソングライター・小椋佳

仲村瞳の歌謡界偉人名言集


作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。


僕は、いつも「自分は舞えているか」ということを意識しながら歌作りに向き合っている

『東大新聞オンライン』(インタビュー/苦しみから新たな表現生み出す 作詞作曲家の小椋佳さんインタビュー/2020年9月16日配信)より

『歌の未来』をテーマに2020年に配信された、小椋佳のインタビュー記事。今回の名言は、インタビュアーの「歌作りで意識していることは何ですか?」という質問を受けての小椋の答えである。「自分は舞えているか」という言葉について、「僕が大切にしている言葉に“振る舞い”という大和言葉があります。これは、人から教わった動作としての“振り”と、他の誰でもない自分が生み出す動作としての“舞い”という言葉から成ります」と語る。歌作りを「“創造”の作業」と主張し、「作詞について言えば、他の誰でもない作り手自身が本当に思ったことや経験したことを、今までにない自分の言葉で表現しなければなりません」と説明している。そして、「主体的な“学び”こそ“創造”への第一歩」「苦しみの中から何か新しいものを生み出すという作業は、つらいのです」と明かす小椋。この他、現代の若い人たちに伝えたいことや、新型コロナ流行後の人々と音楽の関係性などの話も貴重だ。デビュー50周年の2021年に始まるツアーを最後に引退が決まっている小椋。シンガーソングライターの先駆けとして活躍を続けてきたからこその金言に溢れたインタビューである。


小椋佳(おぐらけい)
1944年1月18日生まれ、東京都台東区出身。シンガーソングライター、作詞家、作曲家。東大法学部卒業後、日本勧業銀行に入行。銀行マンとして働きながら音楽活動を行う。1971年、「しおさいの詩」でレコードデビュー。1975年、布施明に楽曲「シクラメンのかほり」を提供し作家としてデビュー。『第17回日本レコード大賞』にて大賞を受賞した。以後、井上陽水の「白い一日」(1973年)、中村雅俊の「俺たちの旅」(1975年)、梅沢富美男の「夢芝居」(1982年)、美空ひばりの「愛燦燦」(1986年)、堀内孝雄の「愛しき日々」(1986年)など、多くのトップスターに数々の名曲を提供している。1976年、NHKホールにてコンサートデビュー。1993年、銀行を退職し、東京大学法学部に学士入学。1995年、東京大学法学部第3類(政治コース)を卒業。東京大学文学部思想文化学科と大学院(人文社会系研究科の思想文化コース)で学ぶ。2000年、哲学専攻にて修士号を取得。NHKアニメ『マルコ・ポーロの冒険』(1979年)の主題歌やOVA『銀河英雄伝説第3期』(1994年)などのアニメソングやCMソング、校歌、市歌、社歌と広いジャンルで楽曲の提供を続けている。2014年、NHKホールにて生前葬をテーマとした4日間連続100曲コンサート(曲の重複無し)を開催した。2021年12月18日、山形県の『やまぎんホール』(山形県総合文化芸術館)にてライブを開催。現在実施している全国ツアーを最後に芸能界の引退が予定されている。



仲村 瞳(なかむらひとみ)
仲村瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。
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