2018年2月17日掲載<船村徹 一周忌法要>より
南こうせつとかぐや姫の「神田川」(1973年)をはじめ、梓みちよの「メランコリー」(1976年)、キャンディーズの「やさしい悪魔」(1977年)「暑中お見舞い申し上げます」(1977年)、アグネス・チャンや柏原芳恵の「ハロー・グッバイ」(1975年/1981年)、SHŌGUNの「男たちのメロディー」(1979年)、五木ひろしの「凍て鶴」(2008年)、伍代夏子の「肱川あらし」(2017年)など、ジャンルを超えた多くのヒット曲を生んだ作詞家で小説家の喜多條忠(きたじょうまこと)が、2021年11月22日、肺がんのため死去した。
1947年10月24日生まれ、大阪府大阪市出身。作詞家、小説家。早稲田大学在学中に、銀座のシャンソン喫茶『銀巴里』にて、浅川マキのステージを観たことが作詞活動に大きく影響する。
大学中退後、文化放送のラジオ番組の放送作家となり、南こうせつと出会う。学生の頃から近代詩を書いていたことを知られ、フォークグループ・南こうせつとかぐや姫の作詞を担当することになる。
1971年2月に発売された、南こうせつとかぐや姫のシングル「変調田原坂」のB面「マキシーのために」が、初めての作詞作品。同年9月に発売された浅川マキのアルバム『MAKI II』に「雪の海」を提供している。
1973年、喜多條自身の学生時代の体験をモチーフに作詞した「神田川」を南こうせつとかぐや姫に提供。同曲は大ヒットを記録し、喜多條は新鋭の作詞家として注目を集める。
以降、南こうせつとかぐや姫はもとより、吉田拓郎、キャンディーズ、春日八郎、五木ひろし、石川さゆり、島津亜矢、秋元順子、城之内早苗、純烈など、多くのスターに楽曲を提供している。
2015年には、山内惠介のデビュー15周年シングル「スポットライト」を提供。同曲で『第57回日本レコード大賞作詩賞』を受賞。
南こうせつとの合作による楽曲「からたちの小径」(2013年)は島倉千代子の遺作となった。2017年には、伍代夏子の「肱川あらし」で『第50回日本作詩大賞』を受賞。2021年8月に発売された石川さゆりの「獨(ひと)り酒」が最後の作品となった。
2008年には、喜多條の初となる書き下ろし長編小説『女房逃ゲレバ猫マデモ』(幻戯書房)を発表。その他、エッセイスト、ボートレース評論家としても活動。日本音楽著作権協会(JASRAC)理事、日本作詩家協会名誉会長も務めていた。
2018年2月13日掲載「日本クラウンヒット賞贈呈式」より
2017年6月22日掲載<伍代夏子 祝『肱川あらし』ロングヒット 感謝の集い>より