作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。
『デイリー新潮』(「加山雄三」が明かす闘病生活 脳出血から復活…「会話は難儀するのに歌声は昔のママ」/2021年4月30日配信)より
2019年11月に脳梗塞を、2020年8月に小脳出血を患った加山雄三。闘病生活から見事に復帰を果し、2021年6月に、東京・赤坂のBillboard Live TOKYOで復帰後初のデビュー60周年記念ライブを開催。さらに、歌声を音声合成AIで再現したプロジェクト「バーチャル若大将」などを展開し、最新テクノロジーとの融合にもチャンレンジしている。現在、84歳の加山。その奇跡とも思えるパワーの秘密を、このインタビュー記事から垣間見ることができる。加山は、厳しいリハビリを振り返りつつ、「普段の会話には難儀していたのに、なぜか歌声だけは全く問題がなかった。発声も歌唱も入院前と何ら変わらない。それどころか、半世紀前の自分の歌声と比べても遜色がないんだよ」と気炎を吐く。トレーニングにも励み、84歳の誕生日(2021年4月11日)には、50年以上前に録音した楽曲「紅いバラの花」の再録音版をリリース。驚くのは、Aメロは当時の歌声を、Bメロは新たに歌って録音したものを使用。つまり、50年前の自分と時を超えてコラボレーションしているのだ。レコーディングスタッフが「いまの加山さんの歌声がまるで判別できません!」と目を丸くしたという。
2021年4月5日からは、AIで再現した加山雄三のデジタル音声が茅ヶ崎市の市役所や病院、商店街のアナウンスに使用されている。加山は、「生前に声を録音してAIで再現する歌手なんて世界初だと思う」「ハワイスタイルのサーフィンをしたのも日本では俺がはじめてだと思う」などと今回の名言を交えて自負する。「何事につけても“第1号”を目指すのは、いまも変わらないポリシーだね」という心意気こそが、加山のパワーの源かもしれない。
加山雄三(かやまゆうぞう)
1937年4月11日生まれ、神奈川県横浜市出身。歌手、シンガーソングライター、ギタリスト、ピアニスト、ウクレレ奏者、俳優、タレント、作曲家(弾厚作)、画家。趣味も豊富で、航海、鉄道、スキー、料理などにも本格的に取り組む。小型船舶免許、5級海技士免許も所持。1960年、映画『男対男』に出演し俳優デビュー。1961年「大学の若大将/夜の太陽」で歌手デビュー。1965年、映画『エレキの若大将』の主題歌「君といつまでも」が売上約350万枚を記録する大ヒット。映画『若大将シリーズ』も次々とヒットを飛ばし、大スターとして不動の地位を築く。その後、映画やテレビドラマはもとより、『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』などバラエティ番組などにも出演しお茶の間の人気者となる。1986年 、1987年、 1988年と『NHK紅白歌合戦』で白組の司会・キャプテンを3年連続で務めた。1994年、ワイルドワンズの島英二、植田芳暁らと、加山雄三&ハイパーランチャーズを結成。2011年、『第61回芸術選奨 文部科学大臣賞』大衆芸能部門受賞。2014年、旭日小綬章を受章。2017年6月、『第8回岩谷時子賞』を受賞。2019年11月、軽い脳梗塞を発症したが、後遺症はなく退院。2020年8月、小脳出血により倒れ、治療に専念することとなる。2021年4月5日より、AIで再現した加山雄三のデジタル音声が、茅ヶ崎市の市役所や病院、商店街のアナウンスに使用される。2021年4月11日に自身初のデジタルシングルとして「紅いバラの花」を配信リリース。厳しいリハビリを経て、同年6月22日、東京・赤坂のBillboard Live TOKYOで加山雄三の復帰後初のデビュー60周年を記念した配信スペシャルライブが行われた。12月11日には、Billboard Live TOKYOで約2年ぶりの有観客ライブを開催。いまもなお、活躍を続けている。