【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#230 シンガーソングライター・加藤登紀子の言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集


作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。


何があっても不思議ではない時代ですけど、とりあえずは生き抜こうね

『加藤登紀子が歌手生活56年目を締めくくる<ほろ酔いコンサート2021>を開催(2021年12月10日開催)』より

加藤登紀子による<ほろ酔いコンサート>は、1971年の初開催から2021年で49年目を迎える。コロナ禍においても徹底した対策を取り、有観客での生ステージを続ける加藤。その姿は、音楽ファンや音楽関係者に大きな希望を与えている。今回の名言は、2021年12月10日に横浜・関内ホールにて開催された、<ほろ酔いコンサート2021>のトークからの抜粋。「何があっても不思議ではない時代」「とりあえずは生き抜こうね」と加藤は客席に語りかける。まるで応援歌の歌詞のように心を温めてくれる言葉である。加藤はこの想いをメッセージに、外出自粛期間中、「この手に抱きしめたい」を制作。同曲は、2020年4月13日、加藤が弾き語り動画をYouTubeにアップして以降、笑福亭鶴瓶、宮沢和史、相川七瀬、ゴスペラーズ、ダイヤモンド☆ユカイなどの賛同者が続々と集結。オンラインセッションによる合作動画も話題を呼び、緊急事態宣言中にも音楽の可能性の一つを示した。今こそ、しみじみと心に刻みたい言葉である。


加藤登紀子(かとうときこ)
1943年12月27日生まれ、満州国ハルビン市出身。シンガーソングライター、女優、作詞家、作曲家、星槎大学共生科学科客員教授。1965年、東京大学在学中に第2回「日本アマチュアシャンソンコンクール」で優勝。1966年、「誰も誰も知らない」でシングルデビュー。同年、2枚目のシングル『赤い風船』で第8回「日本レコード大賞」の新人賞を受賞。1969年、「ひとり寝の子守唄」で第11回「日本レコード大賞」の歌唱賞を受賞。1971年、「知床旅情」で、ミリオンセラーを記録し、第13回「日本レコード大賞」の歌唱賞を受賞。1972年、 藤本敏夫と獄中結婚。出産のため、音楽活動を休止する。1983年、映画『居酒屋兆治』にて夫婦役の高倉健と共演を果たす。以降、女優として、映画やテレビドラマなど数々の作品に出演している。1987年、「百万本のバラ」が大ヒットする。2014年1月1日、全世界に「富士山だ」を音楽配信で発売。2021年8月2日、『哲さんの声が聞こえる 中村哲医師が見たアフガンの光』を上梓。同年9月1日、3枚組のアルバム『花物語』をリリース。<加藤登紀子 ほろ酔いコンサート2021>は、11月23日に大阪・梅田公演を皮切りに神奈川、京都、愛知をまわり、12月25日・26日にヒューリックホール東京、12月27日のエルガーラホール(福岡)の全7公演。2022年2月23日、COTTON CLUB(東京)にて<加藤登紀子 コンサート2022「花物語」>を開催予定。現在も、ライブやメディア出演、執筆など精力的に活動を続けている。



仲村 瞳(なかむらひとみ)
仲村瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。
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