【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#233 ロックミュージシャン・Charの言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集


作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。


ただ「流行っている」という理由だけで、なぜ自分に無理をしてまでやらなきゃいけないんだ

『mocmmxw.com』(海外のギター・ヒーローに憧れた少年が音楽だけでなくファッションに目覚めるきっかけについて当時を振り返ってもらった。ギタリスト・Charインタビュー/2021年11月11日配信)より

2021年9月29日、デビュー45周年を迎えたギタリスト・Charが、16年ぶりにアルバム『Fret to Fret』をリリース。2022年は、全国10カ所で公演<Char 45th anniversary concert 2022>が開催されることでも注目を集めている。このインタビューでは、Charの表現に重要な意味を持つ「ファッションと音楽」について深く語られている。中学生の頃、エリック・クラプトンの格好に「一番憧れた」と振り返るChar。アマチュア時代は、毎週のように行く横浜野音のコンサート会場のお客さんの着こなしを観察し、気になったアイテムは「すいません、どこで買ったんですか?」と声をかけて情報を得ていたという。1976年のデビュー当時、音楽シーンに鮮烈な印象を与えた、裸に白いスーツというスタイルもChar自身のアイデア。「基本的に、デビューしてからの衣装も全部自分で用意していたよ」というから驚きだ。

80年代にDCブランドが台頭していた頃は「今時、長髪でフレアのパンツを履いている人なんてプロレスラーくらいしかいませんよ。なんで時代に逆行するの?」とあるライターから聞かれたという。「これからはヴァン・ヘイレンのライトハンド奏法のように派手なプレイをしたほうがいい」とも言われたのだとか。今回の名言は、そんなライターの言葉へのアンサーであり、Charがファッションに対して貫く考え方である。そして、「誰かの着せ替え人形ではなく、一番自分らしくいるために必要な『表現』」「チューニングの狂いにくいギターや新しいエフェクターもたくさん登場した時期だけど、楽器もファッション・アイテムも自分の心に響かないものは手にする必要がないからね」と語るChar。66歳となった今も、その“カッコよさ”に磨きがかかる理由に触れることのできる記事である。


Char(ちゃー)
1955年生まれ、東京都品川区出身。ミュージシャン、ギタリスト、シンガーソングライター、音楽プロデューサー。8歳でギターを始める。1966年、11歳で作曲家の新川博らと、ロックバンド・FOXを結成。1969年、ロックバンド JAH(ヤッハ)を結成。1971年、ロックバンド・GAS MASKを結成。ヤマハ・ライトミュージックコンテストに出場し地区ブロックで2位を受賞。この頃からスタジオミュージシャンとして仕事を始める。1973年、スモーキー・メディスンを結成。1976年、「NAVY BLUE」でソロデビュー。同年9月にアルバム『Char』を発表。1977年、「気絶するほど悩ましい」をリリース。同年、「逆光線」、翌1978年には「闘牛士」「GIRL」と連続ヒット。ほぼ同時期にデビューした世良公則&ツイスト、原田真二と共に“ロック御三家”と呼ばれ、実力派ミュージシャンのアイドル化的現象が起こる。しかし、アイドルであることに無理が生じ、その後、Yellow~金子マリ&バックスバニーのジョニー吉長、ゴールデン・カップス~スピード・グルー&シンキ等のルイズルイス加部らと共に、本格ロックバンド・JOHNNY, LOUIS & CHARを結成し、ロックミュージシャンの道へと還っていく。1979年、カルメン・マキのツアーにメンバーとして参加。1981年、JOHNNY, LOUIS & CHARをPINK CLOUDに改名。1994年、PINK CLOUDを解散。2010年、インターネット販売専門の新レーベル『Zicca』を設立。現在も、ライブを中心に精力的に活動を続けている。2021年、<FUJI ROCK FESTIVAL’21>に出演。2022年3月5日、群馬・高崎芸術劇場スタジオシアターを皮切りに全国10ヶ所11公演のツアー<Char 45th anniversary concert 2022>を開催予定。



仲村 瞳(なかむらひとみ)
仲村瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。
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